印象派絵画の「残照」を描いた2人の画家のすごみ SOMPO美術館「シダネルとマルタン展」を味わう

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展覧会名に入っているもう一人の人名「マルタン」は、シダネルと親密な交流があった画家、アンリ・マルタン(1860〜1943年)を指す。作風はシダネルとは対照的で、基本的に明るい。そこで改めて考えさせられたのは、二人の画家を一つにくくる「最後の印象派、二大巨匠」という副題が同展についていることだった。

そもそも印象派とは

「印象派」は、彼らより20歳ほど年上のモネやルノワールが1870年代にフランスで起こした潮流だ。シダネルは印象派の要素を取り込んで独自の作風を開いたと言われ、マルタンは感覚的な表現から始まった印象派を理論的に探究して生まれた「新印象派」の画家の一人に数えられる。ともに、絵の具を混ぜずに点状に置く、印象派由来の「筆触分割」の技法を多くの作品で用いている。

アンリ・マルタン《マルケロルの池》(1910〜20年頃 油彩、カンヴァス 81.5×100.5cm フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション ©Galerie Alexis Pentcheff)

モネやルノワールは印象派画家としてスタートした1870年代に、それまでアトリエの中で絵を描いていた多くの画家のあり方を根本から変える。

チューブ入りの絵の具を持って屋外に飛び出し、現場で光あふれる風景を描いたのだ。屋外の風景を照らす光そのものを描いたと言ってもいいかもしれない。モネとルノワールが屋外で画架を並べて、近代文化の象徴だった蒸気機関車が走る風景を描いたこともあった。

一方、シダネルとマルタンは、「サロン」と称されるアカデミックな画壇組織の出身だった。1891年に二人が知り合ったのも、まさにサロンでのことだったという。印象派はそもそも、神話や物語を描くことを基本とするサロンのあり方に対抗して生じた潮流だった。しかし、シダネルもマルタンも、お互いを知った頃にはすでに屋外の風景を描いていた。サロンにも印象派の影響が押し寄せていたようだ。

次ページ注目は屋外の光の描き方
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