「特別入試」で難関大学に子どもを合格させる方法 偏差値よりも「観察力」を高めた子が勝つ時代
すると、一週間後、彼女から私の期待以上の答えが返ってきました。「先生、日本の学生が『恥ずかしさ』ゆえに実力を発揮できないのは、音楽だけではありません。英語も同じです!」
彼女の考察はこうです。日本の子どもたちは、自分を優れた人に見せたいという思いよりも、「人より目立つと恥ずかしい」「何を言われるかわからない」という意識のほうが強く、英語を話すにもノリが足りない。だったら、ドラムのリズムに乗せて英語を喋らせてみたら、よりネイティブに近いイントネーションが身につくのではないか。
これは、素晴らしい発見だと思いました。彼女はさっそく、そのドラム英語教授法を形にし、友人を被験者にして実験授業をしました。そして、その結果を論文にまとめて大学に提出したところ、京都大学教育学部の特色入試の2次試験を突破、慶應義塾大学総合政策部のAO入試合格という成果を手にすることができたのです。
探求活動に没頭、一流大学が評価
合格を勝ち取るために彼女が尽力したのは、机上の暗記勉強ではありません。高3の春から夏にかけて、新しい英語の授業スタイルを考案し、実践し、データー収集、論文作成と、主体的な探究活動に没頭していました。その問題発見解決能力と表現力、そして入学後も続くであろう「学ぶ意欲」を、大学側が高く評価してくれたのです。
私は知識の暗記を否定しているわけではありません。知識は勉強の大前提として、もちろん必要です。でも、世の中の多くの受験生と保護者の皆さんが、知識の量を増やすことだけを受験対策だとお考えになっているのだとしたら、偏差値のアップダウンに今も一喜一憂されているのだとしたら、そのような考えは、もう時代遅れだとお伝えしたいのです。
これからの入試に必要なのは、自分を取り巻く世界をじっくりと観察し、そこに問題を発見し、自分の頭で考え抜いてその解を発想する力。さらには、そのアイデアを文章にまとめたり、プレゼンテーションしたりする表現力です。
こうした力はすべて、国語という教科によって培われる力。英語や数学にばかり目を向けていると、今、最も入試に求められている力が身につかないまま、受験期を迎えてしまうことになります。教育観を時代に合わせることで、より良い結果を手にしていただきたいと思います。
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