文章が書けないと悩む人が陥っている3つの誤解 慣れてないのに難しく考え、できないと思い込む

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<それは文章とは呼べないほど稚拙なものだったかもしれないけれど、そうしたプロセスを経て少しずつ、僕たちは書くことに慣れていったわけです。すなわち書くことは、話すことと同じ生活習慣のひとつ。書けないはずがないのです。(40ページより)>

余談だが、中学生時代の私は“アメリカかぶれ”であった。現代とは違って、まだまだアメリカは遠い憧れの国だったのだ。そこで雰囲気だけでも感じたいと思ってFEN(現AFN)を毎日聴いていたら、いつの間にか英語が話せるようになっていた。それがうれしかったので、街で外国人とすれ違うと「ハァ〜イ!」となれなれしく話しかけたりしていた。恥知らずにもほどがあるが、やがて20歳くらいになると、だんだん恥の概念が強くなっていった。それまでは、間違えようがなにをしようが気にもならなかったのに、いつのころからか「間違ったら恥ずかしいな」と感じるようになってしまったのだ。その結果、あれだけ話せた英語が話せなくなってしまった。恥が勝ってしまったわけだ。

「本当は書ける」と信じることから

そう、似たようなことは書くという行為にもあてはまるのである。いま「書けない」と悩んでしまうのは、成長とともに知恵がついてきたからにほかならないのだ。感覚中心で生きてきた子ども時代とは違って、余計なことをいろいろ考えてしまうから“書けないような気分”になっているだけのこと。

だから、あまり深刻に考えすぎないほうがいい。そして、“書けないという思い込み”は捨てたほうがいい。なぜなら、「本当は書ける」のだから。そう信じて疑わないからこそ、まずはそれを信じることからスタートすることをおすすめしたいのだ。

② 「書き慣れていない」=「苦手」になっている

もし「書けない」と感じているのであれば、大切なのは“書けない原因”を突き止めることだ。原因がわかれば、「そこから脱するためにはどうしたらいいのか」を考えることができる。さらにはその結果、「意外と単純なことに悩まされていたんだな」と気づくかもしれないからだ。

なお、ここでも邪魔をするのは「思い込み」である。私も過去に何度か会ってきたことがあるのだが、書けない人のなかには、「そもそも書く習慣があまりないから」とか、「プロじゃないから書き慣れていない」などと考えている人が少なくない。

だが、それは大間違いである。自分では気づいていないだけで、書く習慣は誰でも持っているものだからだ。ましてや文章は、プロでなければ書けないなどというものではない。

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