文章が書けないと悩む人が陥っている3つの誤解 慣れてないのに難しく考え、できないと思い込む
余談だが、中学生時代の私は“アメリカかぶれ”であった。現代とは違って、まだまだアメリカは遠い憧れの国だったのだ。そこで雰囲気だけでも感じたいと思ってFEN(現AFN)を毎日聴いていたら、いつの間にか英語が話せるようになっていた。それがうれしかったので、街で外国人とすれ違うと「ハァ〜イ!」となれなれしく話しかけたりしていた。恥知らずにもほどがあるが、やがて20歳くらいになると、だんだん恥の概念が強くなっていった。それまでは、間違えようがなにをしようが気にもならなかったのに、いつのころからか「間違ったら恥ずかしいな」と感じるようになってしまったのだ。その結果、あれだけ話せた英語が話せなくなってしまった。恥が勝ってしまったわけだ。
「本当は書ける」と信じることから
そう、似たようなことは書くという行為にもあてはまるのである。いま「書けない」と悩んでしまうのは、成長とともに知恵がついてきたからにほかならないのだ。感覚中心で生きてきた子ども時代とは違って、余計なことをいろいろ考えてしまうから“書けないような気分”になっているだけのこと。
だから、あまり深刻に考えすぎないほうがいい。そして、“書けないという思い込み”は捨てたほうがいい。なぜなら、「本当は書ける」のだから。そう信じて疑わないからこそ、まずはそれを信じることからスタートすることをおすすめしたいのだ。
もし「書けない」と感じているのであれば、大切なのは“書けない原因”を突き止めることだ。原因がわかれば、「そこから脱するためにはどうしたらいいのか」を考えることができる。さらにはその結果、「意外と単純なことに悩まされていたんだな」と気づくかもしれないからだ。
なお、ここでも邪魔をするのは「思い込み」である。私も過去に何度か会ってきたことがあるのだが、書けない人のなかには、「そもそも書く習慣があまりないから」とか、「プロじゃないから書き慣れていない」などと考えている人が少なくない。
だが、それは大間違いである。自分では気づいていないだけで、書く習慣は誰でも持っているものだからだ。ましてや文章は、プロでなければ書けないなどというものではない。
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