文章が書けないと悩む人が陥っている3つの誤解 慣れてないのに難しく考え、できないと思い込む
たとえば、SNSに投稿をしている人は少なくないだろう。もし、その日に感じたことや思いなどをSNSに載せているのであれば、それは「書く習慣がある」ということだ。たかがSNSへのコメントだと侮ってはいけない。たとえ「△△で食べたピザが最高でした!」というようなシンプルなものだったとしても、それだって立派な文章だ。それを読んで「△△のピザを食べてみたいなあ」と感じる人が出てきたとしたら、それは文章に影響力があることの証である。
そんなところからもわかるように、思いを綴った一文は、“文章のプロ”だけにしか書けないようなものではない。逆にそれをプロが仕事として請け負ったとしたら、なんとなくつまらない文章になってしまうかもしれない。簡単なことで、当事者の本当の気持ちは当事者にしかわからないものだからだ。
日常的になにか書いているはず
つまり書くことは限られた人にだけ与えられた才能ではなく、誰にでもできることなのだ。違いがあるとすれば、「書く」か「書かない」か、それだけ。
もちろん“文章のうまい人”がいれば、その一方には“文章のうまくない人”もいることだろう。そういう意味では、“うまさ”で差がつく可能性は否定できない。ただし、「うまくない人だからダメ」ということにはならないのが文章のおもしろいところでもある。「決してうまくないけど、なんだかグッとくるよね」と感じさせてくれる文章はあるし、逆に「うまいんだけど、ちっとも心に響かないよね」というものだってあるのだから。
もしもうまく書けないのだとしたら、その原因のひとつとして考えられるのは、先にも触れたとおり「書く習慣がない」ということだ。書けずに悩んでいる人の何割かは、「書けない」「苦手」「才能がない」と思い込みすぎるあまり、“書く習慣”をつけることを(無意識のうちに)避けているとも考えられる。だとすれば、書く力が養われなかったとしても当然だ。
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