地政学と歴史から理解する「プーチンの思想」 欧州200年史の必然ともいえるウクライナ侵攻

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こうした地政学からは、ロシアは伝統的に敵対的勢力と直接対峙することを嫌い、緩衝地帯を置いてきた。それが東欧諸国だ。カザフスタンなどの中央アジア諸国も、衛星国となり緩衝地帯の役割を果たしてきた。

マッキンダーはユーラシアを起点とする国際関係を地理的に分析。ユーラシア大陸の心臓部を「ハートランド」と名付け、ここの制覇をめぐって、大陸勢力と、これを制止しようとする欧州の沿岸地帯の勢力とがせめぎ合いを続けていると考えた。

ところが欧州側では、旧ソ連構成国や衛星国は、急速に親西欧の姿勢に転換していった。緩衝地帯を相次いで失ったロシアにとって、欧州とロシアの狭間にあり相対的に面積も広く人口も多いウクライナが西欧側についてしまうことは国家的な危機だ──。プーチン氏はそう考えたのだろう。

しかもプーチン氏は、侵攻の前から「ウクライナの非軍事化と非ナチス化を目指す」と表明した。ゼレンスキー氏やウクライナ内の軍事組織「アゾフ大隊」に対しては、「ネオナチ」と非難することをプーチン氏はためらわない。

ナチスドイツと血で血を洗う死闘を繰り返した当時のソ連は、独ソ戦を中心とした第2次世界大戦で約2600万人という最大の犠牲者を出した。ウクライナは、独ソ両軍による凄惨な死闘が何回も繰り広げられた場所でもある。

現在進行形の事態から欧州の歴史が見えてくる

では、そのナチスドイツはどう生まれたか。ソ連という国家が生まれ、欧州と敵対することになった経緯は。現在進行形の事態からその理由をたどっていくと、そこに至った欧州の歴史が見えてくる。

1815年からのウィーン体制では、それまでの王制国家と各民族のナショナリズムを反映した欧州秩序がつくられた。これは、1789年のフランス革命という市民革命が既存体制に挑戦し、王政と民主政治が対立する中で生み出された妥協案だった。

その後、統一されたドイツの誕生、帝国主義の拡大、民主主義の広がりと共産主義の出現、ナショナリズムの勃興などで欧州は揺れた。総力戦となった第1次世界大戦では二度と悲惨な戦争は起こさないとして欧州秩序は再編されたがヒトラーのナチスドイツの台頭を生み、再度の世界大戦を招いた。

終戦後は米ソ両陣営による冷戦が始まる。軍拡競争の中で、硬直的な経済体制と官僚制のきしみが広がったソ連が崩壊。東欧圏の独立とEUの発足により現在の体制となってから30年経った今、ウクライナ侵攻で今後の欧州秩序が変わろうとしている。

福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『金正恩の「決断」を読み解く』(彩流社)、『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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