地政学と歴史から理解する「プーチンの思想」 欧州200年史の必然ともいえるウクライナ侵攻

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地政学と欧州近代史を通して現在の戦争を考える (デザイン:伊藤佳奈、写真:Getty Images

「ウクライナとロシアは同じではない」。2月24日のロシアによるウクライナ侵攻後、在日ウクライナ人たちがそう訴える姿が見られた。同じスラブ民族、そしてソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の構成国だったロシアとウクライナ。日本では「兄弟国ではなかったのか。なぜ戦うのか」と不思議に思う人が多い。

『週刊東洋経済』5月月14日号(5月9日発売)の特集は「欧州動乱史」です。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

しかし「戦争はすでに2014年から続いていた」と、ウクライナ人は口をそろえる。ウクライナでは同年に親ロ政権が倒れ、親西欧の政権が発足。危機感を抱いたロシアのプーチン大統領は、ロシア系住民が多いクリミアを占領し、さらにウクライナ東部ドンバス地域を実質的に支配した。ここでは、親ロ派の武装組織とウクライナ側との戦闘が続いてきたのだ。

日本では、今回の侵攻を旧ソ連からの歴史認識で見ていた。それゆえ、ロシアとウクライナの関係を「兄弟国」として捉えがちだった。だが、ウクライナでは「2014年」を起点にしてロシアを捉えていたのだ。

5月9日発売の『週刊東洋経済』では「地政学と歴史から読み解く 欧州動乱史」を特集。なぜウクライナ戦争は終わらないのかを、地政学と欧州近代史とを絡めて考察した。

敵対側との国境が目前に迫る脅威

プーチン氏にも、1つの起点があった。それは、ソ連邦が崩壊した1991年だ。旧構成国の中には西側に付いた国がある。

ポーランドやチェコ、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)など反ソ意識が強かった国は、相次いでNATO(北大西洋条約機構)、EUに加盟。ロシアからすると、敵対していた側との国境が目前に迫るという脅威を感じてきた。

ウクライナは独立後、政権は親ロか親西欧かで違いはあったが、安全保障ではNATOと距離を置いてきた。ところが19年に大統領に就任したゼレンスキー氏がNATO、EU加盟の立場を急速に強めていたところだった。

NATO(北大西洋条約機構)は1949年に創設された軍事同盟。これに対抗してソ連を中心とする「ワルシャワ条約機構」があった。89年からの東欧圏の崩壊でポーランドなどが相次いでNATOに加盟し加盟国は現在30カ国。NATOの拡大がロシアにとっては脅威となっている。

ここで注目されるのが、地政学だ。地政学とは、英国の地理学者・政治家だったマッキンダー(1861〜1947年)が事実上の開祖とされる学問だ。彼の説く地政学の原点は下図。海洋国家・英国にとって、欧州の運命はユーラシア大陸内部の勢力が変動することで左右される、という考えだ。

このユーラシア大陸の内部を「ハートランド」とし、ここを制覇しようとする大陸勢力と、これを封じ込めようとする欧州の沿岸地帯がせめぎ合っているとマッキンダーは考えた。

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