品川女子学院の理事長が説く「子どもの伸ばし方」 「あなたはなぜ子供に受験勉強をさせるのか」

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世の中にはさまざまな教育論が溢れているため焦りを感じることも多いかもしれませんが、そういうときは「それは私にとってなぜ問題なのか」「私は、本当はどうしたいのか」と、自分に問い続けてみてください。問題の所在が整理しやすくなります。

親御さんは愛情と経験があるので、子どもに失敗させまいとつい、自分の問題と子供の問題が分離できなくなることがあるのです。

欧米の入試問題との違い、子供たちに求められる力

――最近は文部科学省でも「詰め込み型教育」が見直されていますが、入学試験を突破するためにはまだ、詰め込み型教育を避けられそうにないと感じます。

漆先生:そうですね。日本の学校教育で一番のネックになっているのは、大学入試だと私は強く感じています。

たとえば、欧米の入試問題には日本のように1点や2点を争うといった問題はありません。高校時代にどのようなことをやってきたかということや、なぜこの学部・学科に進学したいのかということが重視されます。それは、入学したあと生徒がなにをしたいのか、そのための能力が本人に備わっているかを見極めるための試験だからです。一方、日本は、まだ記憶を試すような入試問題が多く見られますよね。

現代は、テクノロジーの進化、特にAIの発達で、機械に代替できることが増えてきました。そのような時代に私たちに求められるのは「課題を発見する力」と「それを解決する力」です。共感力を持ってみんなが困っていること、あったら便利なものに気づき、みんなで協力しながらその解決の一歩を踏み出す力こそが求められます。

国内外の研究や調査でも、非認知能力=数字で認知されない力が将来社会で活躍する力に繋がっていることが明らかになっているのに、日本の大学入試はすっかり遅れをとってしまっているのです。

その大学入試のために、その手前の中高で、友達と遊んだり、好きなスポーツや趣味に打ち込んだり、自分を見つめて静かに過ごしたりする大事な時間を削られてしまうことも少なくないのです。もちろん、勤勉に知識を身につけることは大切ですが、それを何のために使うのか、知識を統合して活用する力を育む時間とのバランスが大切だと考えています。

――漆先生ご自身は「詰め込み型教育」の弊害を現場で実感されることはありますでしょうか?

漆先生:詰め込み型の定義は明確でありませんが、以前、ある難関私大で授業を担当させていただいたときの話です。学生に高校の総合学習のプランを考える課題を出しました。すると進路学習と称して進学先の大学を調べるといった似通ったプランがあまりに多く驚きました。そのほとんどは、首都圏の進学校出身の学生のものでした。

そして、中にキラッと光るオリジナリティーのあるものを見つけると、地方出身の学生のものだったんです。それは、自分の地域をよくしたいという思いのこもった具体性のあるユニークなものでした。

なぜこのような違いが現れるのか。総合学習は教科の枠を越えて横断的に考えたり、興味を深く探求したりする授業のはずですが、もしかすると首都圏の進学校に通っていた生徒たちは、提出した課題のような授業を受けてきたのかもしれません。

もちろん基本的な知識がなければ新しいものは生まれませんから、ある程度ベースの知識は必要です。日本の学校教育には優れた点もたくさんありますが、世界の動き、未来に求められる力とリンクすべき変化に遅れをとっているのです。国全体の教育を変えるのにはどうしても時間がかかりますので、各学校や家庭レベルでできることはしていく必要があるでしょう。

本校の生徒にも、視野が広がるよう社会や世界とつながる機会を多く設けています。特に女の子の場合、自ら選択した人生を歩んでいくなかで、いわゆる学歴主義では対応できない場面が男の子より早くやってくるからです。

(撮影/黒石あみ)
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