「学童の先生」勤続10年で手取り20万円の不思議 「学童なんて入れてんじゃねえよ」と罵倒された

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こうした雇用の不安定さはサービスの質にも影響を与える。ユウサクさんの施設では、けん玉やままごと、裏手にある神社での缶蹴り、運動場でのドッチボールなどいろいろな遊びができるようなんとか工夫しているほか、おやつや給食を作る職員を別途採用している。しかし、さらに人出不足になると、指導員が保育の片手間におやつを作ったり、室内で遊ぶ子どもたちを壁際に立った指導員が笛を吹いて注意、監視したりするだけの施設もあるという。

ユウサクさんはなぜ待遇が劣悪な学童保育で働くことになったのか。

子どものころは友達との外遊びに夢中になり、大人になってからも子どもと触れ合うことが好きだったというユウサクさんは短大で保育士と幼稚園教諭の資格を取得。ただ「保育園や幼稚園で何かを教えるよりも、子どもたちと一緒に生活をしたかった」と言い、児童養護施設への就職を希望した。しかし、実家から通いやすい地域に施設がなかったことから、“つなぎ”のつもりで学童保育のパート指導員として働き始めたという。

指導員同士が保育観の違いで対立

最初は「子どもと遊んでお金がもらえるなら」という軽い気持ちだった。ところが、すぐに自身の甘さを思い知ることになる。

学童保育は、全員が通うのが当たり前の保育園や小学校と違い、家庭環境によって通う、通わないが分かれる。自宅にまっすぐ帰る同級生を目にして「親の都合で行きたくない所に行かされている」と考えてしまう子どもも少なくない。遊びよりも前にまずは学童保育に通いたいと思ってもらうことが、指導員の腕の見せ所になるが、こうした子どもたちの心をほぐすことは、ユウサクさんの想像以上に根気と経験が求められる仕事だった。

また、学童保育の指導はマニュアル化されていない部分も多い。例えば指導員の呼び方ひとつとっても、先生と呼ぶところもあれば、ユウサクさんの施設では家庭に近い空間にするために、子どもたちは指導員のことを名前やあだ名で呼ぶ。指導方法が多様なことは悪いことではないが、確立されたマニュアルがないぶん指導員同士が保育観の違いで対立する場面もたびたびあった。ユウサクさんにとって人間関係で消耗することも少なくなかったという。

試行錯誤の連続の一方でやりがいもあった。

「キュウリを食べられない子が食べられるようになったり、けんかをしても謝れなかった子が『ごめんね』と言えるようになったり、一輪車に乗れなかった子が乗れるようになったり」。そうした子どもたちの成長を保護者に伝えることができたときも、保護者から「ユウサクさんがいるから、うちの子を通わせている」と言われたときもうれしかった。“卒業”した子どもが久しぶりに顔を出し、大学合格の報告をしてくれたことも忘れがたい思い出だと、ユウサクさんはいう。

数年のつなぎのつもりが、気が付けば正規職員に。当時の給与が月12万円と知ったときは「うそでしょ!?」と驚いた。同居している両親からもたびたび「辞めたほうがいい」と忠告されたという。

おりしも保育園で働いていた短大時代の友人らが待遇の低さから、別の職種へと転職していくタイミングと重なった。ただでさえ学童保育指導員の給与水準は保育士と比べても低い。そのうえ保育士の仕事に見切りをつけた転職組の多くは収入アップとなったので、“格差”は広がる一方。このころは友人らと顔を合わせても、「恥ずかしくて学童保育で働いているとはいえなかった」と打ち明ける。

しかし、ユウサクさんは学童保育で働き続けた。このまま辞めるのは悔しかったのだという。「辞めるなら給料を上げてから、と思いました。僕の後に続く若い人に選んでもらえる仕事にしてから辞めたいと思ったんです」。

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