「村の原理」と「都市の原理」に折り合いをつける 実は大事な「昔から続いてきた」「めんどくさい」

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筆者が運営する奈良県東吉野村の「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」(撮影:青木海青子)
2016年の「おことば」から生前退位特例法案までの動きや、天皇について「死者」をキーワードとして独自の解釈を示した思想家の内田樹氏著『街場の天皇論』。奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を運営する『手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ』著者・青木真兵氏が、同書を読み解く。

近代の原理と前近代の原理

人口1700人の山村に住みながら、都市の原理と村の原理について考えています。

『街場の天皇論』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

都市の原理と村の原理の関係は、近代の原理と前近代の原理と言い換えることができます。現代社会の大きな問題は都市での生活が中心となった結果、世の中のルールが近代の原理だけであると、ぼくたち自身が思いこんでしまっている点にあります。そもそも近代の原理とは何なのか。そしてなぜ今、近代の原理のみで進む社会が行き詰まっているのでしょうか。

近代の原理の大きな特徴は、すべてを商品化できることです。商品化できるということは、お金があれば誰でもそれを手に入れることができる。これ自体はとてもフェアだといえます。すべてが商品化されるということは、お金さえあれば欲しいものが買えるし、受けたいサービスを受けることができる。自分だけではなく、家族や友人など、大事な人にもその「自由」を分け与えることができます。

だからぼくは近代の原理を全否定しているわけではありません。ただ近代の原理だけになってしまうと、それはそれで不都合が生じます。

お金自体はフェアだとしても、それを手に入れる機会が平等ではないことに注目しましょう。現代においてお金を手に入れるための主な手段は、働くこと、就職することです。できるだけ年収を上げたければ、いい大学に入らねばなりません。いい大学に入るためには受験戦争を勝ち抜く必要があるので、塾に通うことになります。その塾の学費が払えるかどうか。この時点でお金を稼ぐためのプロセスが、全員に平等に開かれているわけではないことが明らかです。

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