「村の原理」と「都市の原理」に折り合いをつける 実は大事な「昔から続いてきた」「めんどくさい」
これは1つの例にすぎませんし、ここに男女や地域、障害や国籍など、複数の問題が重なり合ってきます。つまり、むしろ社会が近代の原理だけで組み立てられればられるほど、お金がないことが「不自由」な状況へと人びとを追い込むことになってしまいます。
目的は現状維持
近代の原理だけで回る社会は、すべて経済格差の問題が関わってくることになります。そしてお金を稼ぐプロセスが平等に開かれていないとなると、どんどんこの格差は拡大していきます。格差の拡大がこのまま進行すると、少数の富裕層と多数の貧困層に分かれていきます。
これではマズい。ということで、これからの時代は近代と前近代の原理を併用しつつ、自分たちの生活が経済的な問題だけに左右されないことが重要になるのだと思っています。ぼくは『手づくりのアジール』でこのように書いています。
そこで、これまでの社会を変えるためにキーとなるのが前近代の原理です。前近代の原理は非商品化です。非商品化とは市場に流通させないということ。そのためには規格を作らないことや、誰にとってもわかるようにしないということも含まれます。対価をつけないこととも言えるでしょう。現代社会は近代の原理で回っていますので、非商品化をイメージするのは難しいかもしれません。
冒頭にも書いたとおり、ぼくたちは人口1700人の山村に暮らしています。ご近所さんもどんどん減っており、地域の連絡員や共同墓地の清掃、お宮さんの役員など、本来は昔から村に住んでいた古参住民の役割だった仕事が、新参者にまで任される状況です。そのようなわけで、地域の会議に出席することがあります。会議に出席するとわかるのですが、村の原理の特徴は話を前に進めないこと。目的は現状維持。継承することそれ自体を目指します。
しかしこのことが即悪だとはぼくは思っていません。
上記の『手づくりのアジール』の言い方をすると、「めんどくさくする」とも言い換えることができます。前近代の原理は「めんどくさいもの」を「めんどくさいまま」持ち続けることを意味しています。
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