パナソニック「幸せの、チカラに。」へ感じる疑問 松下幸之助の「言霊力」こそ経営トップに必要だ

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このように受け取るのは、主観の問題、人それぞれだ、と言われればそれまでだが、「幸せの、チカラに。」と聞いて、明確なイメージが浮かぶだろうか。ESG(環境・社会・統治)という言葉とその概念が定着した今、企業が人々、社会を幸せにするために持てる力を発揮するのは、当たり前ではないか。パナソニックのライバル各社も皆、似たようなメッセージを打ち出している。まさに「横並びのパーパス」である。

創業者・松下幸之助氏は、1946年に制定した綱領の「社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」を社員や関係先にわかりやすく説くため、「物心一如の繁栄」というフレーズで表現した、と楠見CEOは理解した。この理解に基づき、「ブランドスローガン」なる言葉を使っているのだろう。では、「ブランドスローガン」の明確な定義とはいったい何なのか。ブランド経営論で論じられているブランドの奥義とスローガンを混同していないか。パーパスと「ブランドスローガン」をイコールにしている点に無理がある。

ちなみに、ソニーグループのパーパスは、「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」である。「幸せの、チカラに。」に比べれば、はるかに具体的でわかりやすい。「幸せの、チカラに。」は、シンプル・イズ・ベストには程遠い。松下幸之助氏が築いた経営哲学性を軽薄にしてしまった感が否めない。

楠見氏の前任者である現会長の津賀一宏氏がCEOを務めていた時、「ブランドスローガン」にしていたのが“A Better Life, A Better World”だ。この評判も良くなかった。社内や取引先からも「手触り感がない」「結局何をしたいんだ」などの厳しい指摘を受けていた。楠見氏自身も「お客様に寄り添うことなく“自分目線”のBetterをプロダクトアウト的に提供することに繋がってはいないだろうか」と疑問に思っていたという。

そして、CEOに就任してからも楠見氏は悩み続けた。「スローガンは掲げず、言葉やお話をして発信し続ければいいのではないか、と大いに悩みました。しかし、私の悩みも理解し、創業者の意を改めて汲み取り、社内外にパナソニックは何者なのかを表する言葉は必要だ、との信念をもって考え抜いた社員たちが生み出してくれたのが、新しいスローガン『幸せの、チカラに。』でした」と楠見氏が舞台裏を披露している。

なぜ誰も釘を刺さなかったのか

だが、残念ながら無駄に考え過ぎただけではないか。このような言葉遊びに必要以上に手間をかけるのは、時間とコスト、そして人材活用の無駄である。最も効率的な方法は、トップが卓越した文学性を発揮し、それこそトップダウンでビジョンを包含した「言霊」を発信することだ。

厳選された(?)優れた社外取締役が揃っているはずなのに、誰も釘を刺さなかったのか。筆者のような指摘ぐらいはできたはずだ。このような、不明確で感動を呼ばないパーパスが表舞台に出てきたのが不思議に思えてならない。

“A Better Life, A Better World”の轍を踏み、再び「結局何をしたいんだ」と批判されかねない。「幸せの、チカラに。」が経営学で注目されている「無形資産」になる可能性は極めて低い。だが、「広報宣伝のパナソニック」のことである。この何を言っているかわからないフレーズに莫大な広告費を投じるのではないかと懸念される。

30年間も業績が低迷し続けている中で、パナソニックHDは大型買収したアメリカの企業とのシナジーを生み、中国、韓国メーカーとの競争がますます激化しているEV(電気自動車)電池市場で生き残るため、新電池の研究開発と生産に巨額の投資をし続けしなくてはならない。自己満足の言葉遊びに無駄な金を投じている場合ではない。

大枚をはたいて喜ぶのは、「幸せの、チカラに。」を考案し楠見氏から褒められた一部の社員たちと、業績が低迷し続けている大手広告代理店だけだろう。

ソニーグループと比較して、パナソニックHDをこき下ろしているわけではない。筆者は両社との間に何の利害関係もない。どちらかを贔屓にしているわけでもない。松下電器産業時代から長きにわたり、歴代のトップやエグゼクティブたちと対話し、パナソニックを客観的にウォッチしてきた。それだけに、我が国の産業の競争力復活のためにも、パナソニックHDには奮起してほしいと思う。

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