ということで、節約するわけでも今後の生活に不安を感じるわけでもなく、戦争の状況には気を揉みながらも、自分自身はいつも通り淡々と生活している。というか、それ以外にやりようがないのである。
つまりはですね、物価高というのは確かに深刻な社会問題なのだが、そもそも「買わない」人間にとっては、「物価」というものは、上がろうが下がろうが人生にほぼ影響をもたらさないのだという当たり前の事実を、このようなことになって改めて噛み締めているのであった。
最強なのは「なくても平気」
で、今回なぜ、そんなやや「上から」な自慢話をわざわざ書いたのかというとですね、この、もう本当に日々驚くような「悪いこと」が次から次へと起きる時代においては、このような「買わない生活」こそが、あらゆることに対処できる唯一確実な方法なのかもしれないとフト思ったからである。
このコラムにも何度か書いたことだが、今のわれらはそもそも「奪われる」時代を生きている。成長期を終え、人口も減り続ける国において、経済成長の果実を皆で分け合い「昨日よりリッチな明日」を生きることなどもう無理なのだ。
それどころか、増え続ける高齢者を支えるために昨日より明日の負担は増えることを誰もが覚悟しなくてはならない……なーんてことをしつこく書いてきたわけだが、事態はどうもそれだけでは収まりそうにないということが、ここ数年で明らかになってきたのではないだろうか。
気候変動に伴う大災害の頻発。グローバル社会が引き起こしたパンデミック。そして核戦争の危機までを孕んだ戦争勃発……いずれも誰も予想していなかったことばかりである。そして地球がどんどん狭くなる中で、その影響から無関係でいることなど誰もできない。
昨日まで当たり前に得てきたものを、一気に失ったり、思うように得られなくなったりということが、それこそこれからは「当たり前」になるんじゃないだろうか。
そんな、今度は何が奪われるのかまったく予測できない社会において、どう考えても一番強いのは「なくても平気」ってことなんじゃないか……と、200円超えの「お知らせ」を見てしみじみ考えたところなのである。
そもそも多くの人が「奪われる」ことを恐れるのは、それが惨めなこと、悲しいこと、大変なことだと思うからだろう。
でもやってみたら案外そんなことはない。っていうかむしろ合理的だったり面白かったり楽しかったりすることのほうが圧倒的に多いんだってことを、体験者としてああだこうだとしつこく紹介するのが当コラムである。
で、これまではそれを笑い話程度に読んでいただければ、仮にまったく共感していただけなかったとしても、いざという時に役にたつかも、あるいは「何かあった時」の心の支え程度にはなるんじゃないかと思って書いてきた。
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