「他国に守ってもらおうなど甘すぎる」歴史の教訓 「台湾民主国」で何があったか知っていますか
日本軍の派遣団・第1陣が現れると、台湾民主国の新しい政府は即座に逃亡してしまいます。民衆は激怒、新政府の建物に火をつけるなど暴動に発展します。唐自身はというと、軍事視察という口実で港を訪れた際、なんと出港間近のドイツの船にさっと飛び乗り逃亡。この逃亡劇から、彼は「10日総統」というあだ名をつけられました。
「他国が助けてくれる」は実現しない希望
日本軍は1日で首都を占拠しますが、島南部が粘り強い抵抗を見せます。やがて、やり手の軍人で「黒旗軍の劉」と呼ばれていた劉永福(りゅう・えいふく)が新たな総統に選ばれます。彼は日本側と交渉を始めようとしますが、日本側は交渉には消極的な態度。すると、ほどなくしてこの2代目も清本土に逃げ出す事態に。ぼろを着て、難民になりすましての逃亡でした。
リーダーの裏切りにあった台湾民主国では、商人や経営者のほとんどが日本の占領を受け入れはじめます。日本に支配されても、先の2人の総統のときより悪くなることはないと踏んだからです。こうして、1895年5月から10月にかけて存在した台湾民主国は滅亡のときを迎えます。
短命に終わった台湾民主国ですが、その遺産が今、当時と正反対の理由で支持される奇妙な命運を辿っています。中国の一部でありつづけようとした台湾民主国の国旗は、今中国からの独立を求める人々のシンボルになっているのです。
台湾民主国が日本に抵抗を示したとき、清からも、イギリスからも援助はありませんでした。この滅亡国家史から私たちが学べる教訓、それは「いざというとき、『他国が守ってくれる』は実現しない」という他力本願の危険性ではないでしょうか。
グローバリゼーションが進み、何かしらの部分では他国に頼っている国がほとんどの現代において、ぜひ心にとめたい滅亡史です。
前回:クリミア併合に何の意味があったか知ってますか(4月4日配信)
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