「他国に守ってもらおうなど甘すぎる」歴史の教訓 「台湾民主国」で何があったか知っていますか
欧州のセンセーショナルとは裏腹に、現実の台湾は19世紀まで低迷の歴史をたどります。島には汚職が蔓延し、何より清本土がうまくいっていませんでした。
清と日本は朝鮮をめぐって戦争をし(日清戦争)、清は敗北。日本は清に「下関条約」という講和条約を突きつけ、台湾の割譲を要求します。
清国代表団のリーダーは、「島ではマラリアが蔓延し、アヘン中毒者が大勢いる」と言って、日本側に台湾領有を諦めさせようとしますが、日本側にこの策略は筒抜け。日本が譲歩することはありませんでした。
日本割譲への反発から台湾が独立
多くの台湾住民が母国によって売られることに反発し、地元の支配層が中心となって反乱を起こします。そして、当時台湾の長官を務めていた唐景崧(とう・けいすう)は独立を宣言します。
「台湾の知識階級と大衆は、日本への従属に抵抗することを決意する。台湾は自ら独立した島共和国であることを宣言し、同時に、神聖なる清王朝の支配領土であることを承認する」という宣言のもと、「台湾民主国」樹立が発表されました。通貨も、新王朝の貨幣が引き続き使用されることになります。
独立宣言の背景には、日本の侵略に抵抗するこの勇敢な新しい国を守るためにイギリスが介入してくれるだろうという期待がありました。しかし、歴史の教訓としてぜひ覚えてほしいのですが、「他国が守ってくれる」はたいていの場合実現しません。台湾民主国の場合も同じでした。
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