「他国に守ってもらおうなど甘すぎる」歴史の教訓 「台湾民主国」で何があったか知っていますか
中国のような広大な領土を誇る大国であっても、冷静でいられない話題が1つや2つはあるものです。「台湾」はその1つで、「1つの中国」を主張する中華人民共和国は、台湾と諸外国との関係に神経を尖らせています。日本の皆さんはよくご存じでしょう。
しかし皮肉にも、今回取り上げる「台湾民主国」(別名、フォルモサ共和国)は、中国の一部でありつづけることを唯一の目標にしていた国で、現在の政治的な争いとは正反対の希望を持っていました。
「オランダ」の植民地から「清」の一部に
「フォルモサ」という別名の起源は16世紀なかばにさかのぼります。あるポルトガルの貿易船が台風で進路からそれ、この島の東岸を通り過ぎたときのこと。乗組員の1人が島の光景に感動して「イーリャ・フォルモーザ」(美しい島)と呼び、それが島の名前として定着しました。
その後、この島はオランダの植民地になり、次いで清王朝の一部となります。フランス人のジョルジュ・サルマナザールという人物が『台湾史』(1704年)で島民の奇妙な習慣を紹介すると、ヨーロッパ中で台湾という島が話題となりました。しかし、この本で取り上げられたのは、「蛇が主食」「毎年1万8000人の少年が生け贄となる」などでたらめばかりではありましたが。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら