土嚢を積む若者たち
再びマイダン広場に出た。親欧米で、民族主義派の後押しも受けた現大統領、ゼレンスキーがいる大統領府に向かう道はバリケードで封鎖されている。その方向にカメラを向けることは許されない。ほとんどの政府機関は地下に潜り、オンラインで実務を遂行しているという。
別のバリケードのところで若者4人が土嚢を積んでいた。どれくらいの重さなのかと思い、試しに持たせてもらったがまったく持ち上がらない。ひとつ60キロくらいはあるだろうか。彼らはそれを二人で持ち上げ、テンポよく積んでいた。
休憩時間に若者のひとり、日本のアニメが大好きだというニコラが、炭酸入りの水を持ってきてくれた。右腕にはウクライナの二色国旗のうち、実り豊かな小麦を意味する黄色のテープを巻いている。
「日本でもウクライナをサポートするためのデモをやってるよ」と伝えると、「本当? ありがとう」と笑顔が返ってきた。
飲酒は禁止され、店は休業しショッピングも楽しめない。青春を謳歌する場がなくなったこの街で、彼らはそれぞれの居場所を見つけているように感じた。
「アンナさんがまだキエフにいます」
東日本大震災から11年のこの日、日本在住のロシア語リサーチャーからこんなメールが届いた。
〈いまキエフにいるのですか? アンナさんがまだキエフにいます。「逃げて」と言っているのですが、「逃げない」と。高齢の親がいるからだと思います〉
アンナさんとは、ウクライナ国立チェルノブイリ博物館副館長のアンナ・コロレフスカ(63)のことだ。東日本大震災が起きた翌年、博物館は福島原発事故に関する資料の収集を始め、特別展を開いた。福島第一原発構内の撮影をしていた筆者は、写真を提供するよう博物館から依頼された。そのとき橋渡しをしてくれたリサーチャーが、私のキエフ入りを知ってメッセージを送ってくれたのだ。
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