原田知世「芸能界に合ってない」のに続けられた訳 一期一会な女優業の裏に「ホッとする場所」

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

でも、だからといって、繋がりがなくなるわけではなく、彼らに対しても気持ちはずっと持っています。会うことはないけれど、あ、こんな作品やってらっしゃるんだなって、ふと見入ったり。そんなふうに、大切に思っていますね。

詞を書くということ

── 原田さんは作詞もたくさんされていますが、ご自身で詞を書こうと思われたきっかけは?

原田:アルバム1枚をフルで作詞するようになったのは、トーレ・ヨハンソンさんと一緒に作ったアルバム(「I could be free」1997)が最初です。トーレさんは曲しか書かない方ですし、詞は日本語だったので、自分で書く状況がなんとなくできていて、じゃあちょっと頑張ってみようと思って書きました。

── 詞を書くことは、ご自身にとってどんな意味を持つのでしょうか。

原田:やっぱり産みの苦しみはあって、30代はもう苦しみながら、う~ん……と唸りながら書いていました(笑)。その時期をいま振り返ると、やってよかったと思いますね。その歌詞を見るたびに、その時の自分の情景や心情がよみがえる。ある意味、日記のような、足跡にもなっています。

それと、詞を書くことは、自分を確認する作業でもあるので、さまざまなことを深く掘り下げて考えます。その時間は、人としても成長していける、とてもいい時間だったんだなぁと思うので。

でも、そこから何作も書いてきて、ここから先はもう、詞は全部自分で書くというスタイルにとらわれる必要もないところに来たのかなっていうか。歌うことに専念しても、自分自身は自分自身だなっていう気がしています。

(写真:岸本咲子)

── 役を演じたあとなどは、ご自身の中に役の気持ちが残っていて、その気持ちのまま、詞を書くこともあるそうですね。

原田:別の場所で経験したことが、何かしら自分の中にあって、それによって取り組み方が変化することがあるのも、面白いなぁと思います。どっちも自分自身なので、影響し合うのだと思います。

── 作詞家として職業的に詞を書く人もいますが、原田さんにとって詞は、わりと個人的な発露であり、言葉だったんですね。

原田:そうだと思います。 だからこそ、その時々の自分が、そこにいるんでしょうね。

● 原田知世(はらだ・ともよ)
1983年、映画『時をかける少女』でスクリーンデビュー。近年は、映画『しあわせのパン』、『あいあい傘』、『星の子』、NHKドラマ10『紙の月』『運命に、似た恋』、CBDドラマ『三つの月』、NHK連続テレビ小説『半分、青い』、日本テレビ系日曜ドラマ『あなたの番です』、テレビ東京系『スナック キズツキ』など数々の話題作に出演。歌手としてもデビュー当時からコンスタントにアルバムを発表。1990年代は鈴木慶一、トーレ・ヨハンソンを迎えてのアルバム制作や、オール・スエディッシュ・メンバーとの国内ツアーなどで新たなリスナーを獲得。近年はプロデューサーに伊藤ゴローを迎え、充実したソロ・アルバムをコンスタントに発表。。高橋幸宏らと結成したバンドpupa(ピューパ)にも在籍。そのほか、ドキュメンタリー番組のナレーションを担当するなど幅広く活動している。
HP/O3 Harada Tomoyo Official Site
■ 「fruitful days」
デビュー40周年を記念したオリジナル・アルバム。川谷絵音(indigo la End、ゲスの極み乙女。、ジェニーハイ etc.)のサウンド・プロデュースによる先行シングル「ヴァイオレット」に加え、THE BEATNIKS(高橋幸宏&鈴木慶一)、高野 寛、伊藤ゴロー、辻村豪文(キセル)、高橋久美子、網守将平という、原田知世の音楽キャリアにおいて重要なアーティストや今回初タッグとなる豪華作家陣が新曲を提供。加えて、「守ってあげたい」と「シンシア」という往年のファンには堪らない2曲の新カヴァーも収録。新しさの中に懐かしさが同居する、現在の原田知世ならではの豊潤なサウンドに仕上がっている。アルバム・プロデュースは、15年にわたり原田知世の音楽活動のパートナーを務めるギタリスト/作曲家の伊藤ゴローが担当。初回限定版(SHM-CD+VD)4070円、通常版(SHM-CD)3300円
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事