原田知世「芸能界に合ってない」のに続けられた訳 一期一会な女優業の裏に「ホッとする場所」

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でもそれは、どちらかというと、俳優業に対する覚悟というより、仕事との両立があまりにもハードで、このまま続けるのは大変だなというので一本化したところもありました。当時は、高校に通いながら仕事をして、敷いていただいたレールの上をただひたすら走るだけでした。何か考えるなんていう余裕があったんだろうか? って、思い出そうとしても、全然思い出せないんですね。なので、この女優の仕事が自分の一生の仕事、っていうほどの決意があったかというと、そこまでではないかもしれません。

── その気持ちが、どこかで変化していったのでしょうか。

原田:そうやって基盤を作っていただいて、何かひとつの仕事が終わるとまた次、というふうに面白いお仕事をいただくうちに、いつしかそのペースに慣れてきたというか……。ただ、20代になって、作品を重ねるうちに自分も成長して大人になってくると、10代のイメージのままではなく、もう少し違うこともやってみたいという気持ちが芽生えてきました。

音楽はその齢の自分を表現できる場所

その中で、音楽をやることで、音楽はその齢の自分を表現できる場所なのではないかなって思い始めたのが20代半ばくらい。俳優というのはオファーありきの待つ仕事で、自分のタイミングでは何ごとも進みませんが、音楽ならもう少し積極的に自分でやっていけるので。いまの私の音楽に繋がるスタートは、その辺りかなと思っています。

(写真:岸本咲子)

── 歌手になりたいという気持ちは、当時からあったのですか?

原田:それもなく、もともとスタートしたのですが(ニコニコ)。ただ、歌うことは好きでした。それで、20代、30代、40代と音楽を継続していくなかで、いろんなアーティストの方との、とてもいい出会いがあって。

そして、アルバムをつくることで、私のことを映画も音楽も丸ごと応援してくださるファンの方とは別に、純粋に音楽を好きになってくださる若い世代のリスナーの方との新しい出会いがありました。それが大きな力となって、ここまで音楽を続けてこられたと思いますし、同時に女優の仕事でも、いいタイミングでいい作品に会えてきました。それはとても幸せなことです。

ただ、まさかここまで長くやってこられるというのは想像できなかったですね。それと、もし音楽をやってなかったら、女優の仕事だけだったら、もうここにはいない気がしますね。

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