その日、三菱自動車の社長は来なかった

「抜擢人事」の後に起きた裏面史を綴る

オランダ女王からの勲章授与式に出席した当時の中村会長

ネドカー社は、その年の5月頃から生産を開始し、すでに現地から新工場のレポートを記事にしているメディアもあった。しかも、視察期間が12月20日前後で、記者としては年末年始用の記事を書くなど最も忙しい時期に重なっていた。さらに調べると、この時期に中村会長がオランダの女王からの勲章授与式が行われることが判った。

その成田空港では思わぬ事件が待っていた。出発までラウンジで寛いでいると、三菱自動車の広報部長が青ざめた顔で私のところに飛んで来て、小声でこう叫んだ。

「千葉さん、塚原が来ていません」

「えっ、どういうこと」

「塚原が成田空港に来ていないんです」

たった1年でまた社長交代

その短いやり取りと慌て振りから、ただならぬ雰囲気を感じた。体調不良で同行しないことになったと説明されたが、塚原社長の身には大変なことが起こっているのではないかと考えざるを得なかった。この後、塚原社長は一度も出社することなく、翌1996年6月の株主総会で退任。一度は子会社に飛ばされていた木村雄宗・元副社長が新社長に就任することになる。

そうした様々な出来事があった1995年暮れの自工会クラブの納会でマン・オブ・ザ・イヤーをやろうと言い出したのは、ある先輩記者だった。準備を始めると、冒頭に書いたように三菱自動車の広報担当者が私のところにやっていて中止を強く求めてきた。

「今回、マン・オブ・ザ・イヤーをやろうというのは、どうせ、ウチの塚原を選ぼうと言う魂胆なんでしょう。そんなことになったら、シャレになりませんよ。中止してもらうわけにはいきませんか」

「別に塚原さんが選ばれると決まったわけじゃないでしょう。今年を振り返れば、トヨタ自動車の社長に就任した奥田さんもいるし、日米自動車交渉に尽力した岩崎さんもいますよ」

「いや、ウチの塚原を選ぼうとしているに決まっています」

あまりにしつこいので「記者の皆さんにはそういう懸念があることは伝えますから」と言って、その場は収めた。

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