なぜ中国からはノーベル賞が出ないのか ビジネス面から見える、技術軽視国家の弱点

✎ 1〜 ✎ 49 ✎ 50 ✎ 51 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そもそも、事実上共産党の一党支配が続き、その子弟は経済的にも優遇された環境に居て、競って海外留学に行くので視野も広がるはずだ。しかし、形式だけが整って内容が伴わない若者が少なくないようだ。

だますテクニックに磨きがかかりやすい構造がある?

日本の大学に留学に来る学生も、優秀な学生に混じって、お世辞にもそうではない学生がやってくる。ある国立大学で教鞭をとっている私の友人は、「コネを使って入学を希望する中国人学生は絶対に獲らない方針だ」と言っていた。実際の実力がないのに、しつこくゴリ押ししてくるので、後で問題が発生するケースもあり、そうしたことに巻き込まれたくないようだ。

では、なぜ一流の中国人が多い一方で、こうした悪い面が目立つのか。それは歴史と伝統の中に「何でもいいから、勝ちは勝ち」という文化があるからだ。例えば、私の知っている限りでは「お天道様が見ている」という日本的な考え方などはそもそもない。従って「だますテクニック」に磨きがかかりやすいというのが私の持論だ。

ビジネス面でも、実はパテントやノウハウを真似したりパクったりするのは、中国では日常茶飯で、誤魔化してしまって一向に気にしないケースを、今まで何度も見てきた。少なくとも、企業の現場では、外国の技術をコピーすれば簡単に儲かるから、真剣に研究開発に資金を投じる発想が今でも薄い企業が少なくない、ということは指摘しておきたい。

共産党の一党独裁を問題にする声も多い。学問の自由が保障されている民主主義国家には創造性を大切にする気風があるが、中国の共産党一党独裁のなかでは定型的な発想しか認められないと嘆く中国の識者は多い。自然科学を志す若者は米国留学を希望するのである。そして、ノーベル賞を受賞できる能力のある学者や研究者たちは、2度と祖国に戻って研究を続ける気にならないだろう。

次ページとはいえ、ノーベル賞受賞は時間の問題
関連記事
トピックボードAD
マーケットの人気記事