シャープの全盛期を支えた「独自性」とは? イノベーターとの交流、そしてサムスンとの関係

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<インタビュー1> 印象深かった若き日のジョブズ氏と孫さん

「スティーブ・ジョブズという人が、下に来ています」

私がシャープの東京支社長をしていた1985年ごろのことです。秘書が、ヒッピーの格好をした外国人が訪ねてきた、と言う。「よう知ってるよ。すぐ通して」。秘書は変な顔をしていましたね(笑)。

その日、ジョブズが私に話してくれたのは、後で思えばアイポッドの原型ともいえるアイデアでした。「何が今いちばんはやっているか」と聞くので、ソニーのウォークマンを紹介しました。本人は、ウォークマンをそうとう研究したようですね。

孫(正義)君を初めて知ったのは米国です。大学でコンピュータやパソコンの勉強会をやっていた彼に、偶然会ったんですわ。熱心な学生で、すぐに親しくなりました。そんなとき、テキサス・インスツルメンツが、翻訳機を出したんです。次の時代はこれや!と感じた。孫君もそうだったそうです。

それからしばらくしてからです。技術本部長兼中央研究所長をしていた私の所へ、孫君のお父さんが公衆電話から連絡してきて「息子と一緒に会いたい」と。翻訳ソフトを買ってくれないかとのことでした。

初めに、松下電器産業に行ったがけんもほろろだったそうです。「うちはスタンフォード大学の教授を所長にした研究所も作って、翻訳機なんかもうできとるよ。おまえがいるんなら売ってやろうか?」と言われたいうて、怒っとるんです。三洋電機では、「カネさえ出してくれたら、翻訳機なんていつでも作ってやるよ」と侮辱された。最後に、僕を思い出したという。縁ですね。私は、彼の開発した翻訳ソフトを1億円で買い取りました。

生きる勘をまず持たないと駄目

佐々木正 1915年生まれ。京都大学工学部卒。神戸工業(現・富士通)取締役を経て、シャープ副社長、顧問。電卓の生みの親。シャープを日本有数の家電メーカーに育て、日本の半導体産業の礎を築いた。現在はNPO法人・新共創産業技術支援機構の理事長を務める

いい商売のアイデアがあっても、どこでも儲かるかといったらそうではない。「場」がないといかん。孫君は奥様の実家の熊本でソフトバンクを創業したけれど、最初はうまくいきませんでした。

孫君は有能だけど、ちょっと飛びすぎるんで困るんですよ。もう若いときから宇宙の向こうばっかり見て話をしていましたからね。今、メガソーラーをやっとりますが、日照量の確保に限度があるんだよ、地球上では。やるなら宇宙ですよ。「だから、駄目だ」言うても聞きません。

通信業界でこそ彼はタレントだけど、太陽電池ではタレントになるのは簡単ではないかもしれん。人間には、おのおの持ち場があるということですよ。自分に適した土地かどうかを見る、生きる勘をまず持たないと駄目ですわ。

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