不運な人の不運がわからない「幸運な人」の無神経 水木しげるが描いた凡庸な人々の無理解と即物性
賢い人間がバカになることが好ましいこともある
「かしこいやつをバカにするとは……、バカをかしこくするよりむずかしいかもしれないな」
これは『悪魔くん復活 千年王国』に登場する家庭教師・佐藤の発言である。
ふつう、家庭教師や塾の講師は、生徒の成績を上げることを目的としている。しかし、成績は簡単には上がらない。だから、苦労する。つまり、バカはなかなか賢くならないのである。
それでも頑張って勉強すれば、少しは成績も上がる。わからないことでも、ていねいに教えれば少しずつわかるようになる。
しかし、すでにわかっていることを、わからないようにするのはかなりむずかしいのではないか。
同作品に登場する小学校二年生・松下一郎は、一万年にひとりという天才で、奥軽井沢の別荘にこもって、悪魔を呼び出す術にふけっている。
大会社の社長である父親は、息子のあまりの頭のよさに恐怖を感じて、社員の佐藤を家庭教師として派遣する。責任感の強い佐藤は、さっそく勉強をさせようとするが、「神秘幻想数学」や、「古代エジプトの数学書」を見せられて困惑する。
そして、自分の役割は賢すぎる一郎の頭を、ふつうのレベルに下げることかと考え、冒頭の一言「かしこいやつをバカにするとは……、バカをかしこくするよりむずかしいかもしれないな」をつぶやくのである。
賢くなるということは、一般に是とされ、多くの人がそれを目指す。賢くなることは簡単ではない。しかし、ほんとうにむずかしいのは、賢すぎる人間がバカになる(ふつうになる)ことではないか。ときとして、そのほうが好ましいこともあると、水木サンは喝破しているのである。
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