「自分は偉い」と他人を蔑む人こそ何とも空しい訳 水木しげるが描いた「空腹で暴れた剣豪」の本質
「たかがぼたもちのあとさきで」
「俺はむしろ品位という名の下に、人を軽蔑する快感にひたるくせがあった」
剣豪・宮本武蔵とて生身の人間である。
短編『剣豪とぼたもち』は、宮本武蔵が茶店でボタ餅を注文するところからはじまる。
そのとき、武蔵は機嫌が悪かった。空腹の上に自分が先に注文したはずのボタ餅が、三人の駕籠かきに先に出されたからだ。しかし、武蔵は我慢する。「過去の英雄、豪傑はみだりにおこらないと、ものの本に書いてあった……」からだ。
ところが、二皿目のボタ餅もまた駕籠(かご)かきたちに供される。武蔵は怒りのあまり、自分でも驚くような大声で叫んでしまう。
「いいかげんにしないかーッ」
彼の胃はボタ餅への期待ですでに胃液が「もたついていた」のである。
ところが、駕籠かきたちは驚きもせず、太々しい表情で武蔵を振り返って言う。
「たかがぼたもちのあとさきで、ライオンのように吠えたてるでねえか」
武蔵はここでもぐっと堪える。たかがボタ餅のことで駕籠かきと言い争ったとあっては、武士の品位が傷つくと思ったからだ。
そこで冒頭の一言、「俺はむしろ品位という名の下に、人を軽蔑する快感にひたるくせがあった」(「品位」には「えりいと」とルビがふってある)が出る。
品位を保つということは、自分ひとりのときは立派な行為である。しかし、周囲に人がいるとき、品位を保とうとする人の心の奥底には、〝品位のない人を軽蔑する快感〟が潜んでいるのではないか。
少なくとも、私はそうだ。この一言に出会うまでは、気づかなかったけれど。
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