「祖父は料理をしない人だったので、一緒に住むことで面倒を見てもらおうという気持ちがあったんだと思います。でも、しばらくして母が料理しないことが明るみに出て、『じゃあ、何のために同居したんだ!?』ってものすごく揉めたんです。
でも、共働きのわが家では、母も母で忙しく働いていたので、『なんで私ばっかり料理しろって言われなきゃならないの……』という思いもあったと思います」
この一件で家庭内はややギクシャクしたが、それでも食事が自動的に出てくるわけではない。その頃には真理子さんも、自分の家が周囲と少し違うことを自覚しており、テレビ番組に対してこんな感想を抱くこともあったという。
「『突撃!隣の晩ごはん』ってあったじゃないですか。あれを見ると『あの家もこの家も、ごはんが何品も並んでいる。我が家は、家とか家具もお洒落で一見素敵な家庭なのに、なんで肝心のごはんがないんだろう……』って思ってひとりむなしくなっていましたね」
ヨネスケを見て笑うでなく、切なくなる。そんな小学生が、世の中には存在するのだ。
実家は田舎で、近くには飲食店もなかった。当然だが、デリバリーも存在しない。給食で栄養を補給していたため、栄養不足だったわけではないが、それでも「なにかが欠乏している感覚がありました」と真理子さんが振り返る言葉はなかなか切実である。
次第に少女は「料理」に傾倒
「お母さん、ごはんは?」
「食べた」
「何食べたの」
「いや、適当に」
「……」
「あ、冷凍食品、冷蔵庫にあるから好きに食べてね」
「……」
そんな会話がごく自然に繰り広げられていた真理子さんの家だったが、やがて変化が訪れる。小学校5年生頃から、真理子さんと2歳年上の姉が、交互に食事を作るようになったのだ。
「家には調理器具や調味料もなく、揃えるところからスタートでした。サラダ油はギリギリあるけどみりんや料理酒はないとか、ざるや鍋はないとか、本当にそういう感じなんですよ。
教えてくれる人も身近にいないので、父に車を出してもらって街の本屋さんでレシピ本を買って。見よう見まねで、ハンバーグとか、比較的簡単なものから作っていましたね」
本連載2回目――「中学から料理担当」女性が病床の母にかけた言葉――では、中学生の時から家庭内の料理を一手に引き受けていた女性のエピソードを紹介した。
この女性の場合、母親が「友人に料理を振る舞うのは好きだが、家族に振る舞うのは好きではない」タイプだったゆえに料理上手になった形だが、少しタイプは違えど、親を頼れなかったという点では真理子さんも共通していると言えるだろう。
だが、真理子さんの場合は、他にもややこしい事情があった。幼少期から冷凍食品やレトルト食品をたくさん食べてきたせいか、それらが極端に苦手になってしまったのだ。
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