意外と知らない「中央区・港区・新宿区」の深い歴史 東京生まれ・東京育ちでも勉強になる最強雑学

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江戸時代に整備された五街道の一つ甲州街道は、日本橋を起点として甲府(現・山梨県甲府市)にのびる街道で、甲府から中山道の下諏訪(現・長野県諏訪郡)まで続いていた。日本橋から最初の宿場である高井戸までの距離が長いため、日本橋と高井戸の中間に宿場の設置が認められた。

『1日1ページ、意外と知らない東京のすべて365』(文響社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

この宿場は、譜代大名・内藤氏が江戸幕府に返上した屋敷地に置かれた「新しい宿」との意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の起こりとなる。内藤氏が高遠藩主であった縁が、新宿区と長野県高遠町(現・長野県伊那市)の友好市提携のきっかけとなった。

明治後期から大正時代に繁華街としてにぎわったのが神楽坂であり、「山手銀座」と呼ばれていた。

現在も待ち合わせ場所として利用される善国寺毘沙門天は、民衆の信仰が厚く、神楽坂が門前町(神社や寺の門前につくられた町)として栄えた由縁となっている。

坂の多い町並みが神楽坂の特色であり、細い路地を入ると黒板塀が続き、多くの文化人のゆかりの地でもある風情が味わえる。

新宿区の区名の由来とは?

1878年に四谷区と牛込区が東京15区として誕生。一方、豊多摩郡の一部であった淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町は市街化が進み、1932年に4町が併合して淀橋区(現在の西新宿周辺)となった。この地で創業した「淀橋のカメラ屋」が現在のヨドバシカメラである。

昭和なかばの新宿駅周辺は百貨店、映画館、劇場、カフェーなどがひしめき、神楽坂や四谷に代わる繁華街に成長していた。しかし1945年、東京大空襲によって新宿駅周辺や神楽坂、四谷、高田馬場など、現新宿区の大部分が焼失。戦前は約40万人あった人口も、終戦時には約7万8000人と減少してしまった。

1947年3月15日、四谷区・牛込区・淀橋区の統合により「新宿区」として発足。歴史的な由来のほか、新宿御園や新宿駅が全国的にも有名であることが、区名を決定する要因となった。

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