意外と知らない「中央区・港区・新宿区」の深い歴史 東京生まれ・東京育ちでも勉強になる最強雑学

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港区が誕生したのは1947年3月15日、それまでの 芝区・麻布区・赤坂区が統合されて港区となった。この統合にあたり、新たな区名として「城東区」と「東港区」が候補となり、東京港の発展に新区の成長を願うという意味を込め「東港区」を選定した。しかし、「東京東港区」では音が重なるとの意見から「港区」に改められた。

東京港を意識した区名にふさわしく、「区の木・花」には国際的なゆかりがあるハナミズキとアジサイ、バラが指定されている。ハナミズキは東京市からワシントン市に贈ったサクラの返礼として国際交流の橋わたしをした。アジサイは関東地方に古くから自生し、ドイツ人医師・シーボルト(1796~1866)が愛妻のお滝に贈ったことにちなみ、学名に「オタクサ」とつけられた国際色豊かな花である。バラの多くは外国から渡来し、1887年には芝公園に「バラ園」が造られたという記録がある。

新宿区の意外と知らない歴史

日本屈指の繁華街である新宿は、甲州街道に開設された宿場が名前の由来とされ、現在では国道20号線やJR中央線が西にのび、交通の要衝の役割を果たしている。江戸時代の旗本たちが馬術の訓練をした高田馬場、明治から大正にかけてにぎわった神楽坂など、時代によって場所も内容も変わるものの、にぎわい続けてきたのが新宿区の特徴である。

新宿区のほぼ南西端に位置する新宿駅を起点として、JR中央線が区界を示すように北東へとのび、信濃町駅・四ツ谷駅が新宿区に含まれる。JR山手線は新宿駅のほか新大久保駅と高田馬場駅が区内にあり、早稲田大学や専門学校など、各種の学校が立地する高田馬場駅周辺は、明治初期まで一面の雑草地で、江戸時代の高田馬場駅周辺では、将軍が鷹狩りをし、旗本が馬術に励んだ。8代将軍・徳川吉宗(1684~1751)が子の疱瘡(天然痘)平癒を祈願して奉納したことが始まりとする流鏑馬(やぶさめ)が「高田馬場流鏑馬」(新宿区指定無形民俗文化)として残る。

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