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意外と知らない「中央区・港区・新宿区」の深い歴史 東京生まれ・東京育ちでも勉強になる最強雑学

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明治維新後、江戸は東京と改称され、1871年に東京府が置かれた。1878年の区町村編制法の制定によって東京15区が定められると、中央区の前身となる日本橋区と京橋区が設置され、日本橋区には約140、京橋区には約150の町があった。1889年、現在の東京23区の前身にあたる「東京市」が成立。昭和時代に入り、戦後の1947年に「中央区」が誕生した。

ちなみに、作家・芥川龍之介(1892~1927)は中央区の前身である京橋区の生まれである。夏目漱石の門下となり、『鼻』『羅生門』などの著書を残した。生家の父は、渋沢栄一が興した牛乳販売会社「耕牧舎」を経営していた。

江戸時代には、東海道と厚木街道が通った港区

青山、六本木、白金高輪、麻布など、高級住宅地のイメージが強い港区。以上のエリアは港区の西部にあたり、東京湾に面した東部とは異なる景観を成している。現在は国道15号線と国道246号線に名前を変えたものの、江戸時代には東海道と厚木街道が通った要地である。区の木や花の選び方に独自性があり、国際性を重視してきた港区の特徴が表れている。

港区の東部にはJR山手線・京浜急行線が南北にのび、品川駅・高輪ゲートウェイ駅・田町駅・浜松町駅・新橋駅が含まれ、東京湾に面した低地および芝浦海浜の埋め立て地から成っている。西部には東京メトロ表参道駅や麻布十番駅などがあり、六本木や白金台などの高台地は秩父山麓に端を発する武蔵野台地の末端で、起伏に富んだ地形である。港区の中央部には、西から東に流れる古川(金杉川)流域に平地部が広がる。

港区域にはかつて2つの街道が通っていた。一つは江戸時代の主要な街道であった東海道だ。新橋から芝を通り高輪に抜ける国道15号線(第一京浜国道)である。国道15号の泉岳寺交差点近くには、江戸の治安維持のために1710年に築かれた石垣が残る。この石垣は、江戸の出入り口に当たり「大木戸」と呼ばれ、旅人で大いににぎわった。江戸時代の地理学者・伊能忠敬(1745~1818)が、日本地図作成のために行った測量の起点が大木戸であり、明治初年に西側の石垣は取り払われ、現在は東側の石垣だけが残されている。

もう一つの街道は、赤坂見附から青山を通り渋谷に抜ける青山通り(国道246号線)で、古くは厚木街道(大山道)と呼ばれ、江戸と相模国(現・神奈川県)を結ぶ重要な街道であった。

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【港区は最初、「東港区」だった?】

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