映画「英雄の証明」が突きつける正しさの見極め方 SNS時代だからこそ問われる真実が嘘かの判断力

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本作の主人公ラヒムが、義理の兄だったバーラムに借りた金額は1億5000万トマン。これは日本円にして約400万円となる。イランでは、多額の借金をする際には保証人を用意する必要があり、もし債務者が返済不能となった場合は保証人が代わりに返済を行う。だが、もし債務者が返済を怠った場合、保証人は相手を法廷で訴えることができる。その結果、懲役刑が課せられれば、債務者は刑務所に入れられることとなる。

主人公ラヒム・ソルタニを演じるアミル・ジャディディ © 2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinema

ビジネスに失敗したラヒムの借金は保証人のバーラムが代わりに支払った。だが、ラヒムがその返済をしなかったために、バーラムが訴えを起こし、ラヒムは収監されることとなった、というのが本作の背景だ。またラヒムのように軽犯罪で収監されている囚人には、休暇を取得し、刑務所外に出ることができるシステムもある。本作では、休暇を取得したラヒムが、刑務所の外に出たところから物語が展開される。

本作のメガホンをとったのは、世界が注目する名匠、アスガー・ファルハディ。

母国イランとヨーロッパを股にかけて活躍する彼は、2009年に『彼女が消えた浜辺』でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を獲得。続く2011年の『別離』では、ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)をはじめとした主要三部門を独占、さらにアカデミー賞外国語映画賞をはじめ、90以上の映画賞を獲得した。そしてカンヌ国際映画祭に出品された2013年の『ある過去の行方』ではベレニス・ベジョに女優賞をもたらした。

2016年の『セールスマン』では、第69回カンヌ国際映画祭の脚本賞と男優賞を獲得。さらにアメリカ・アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされたが、当時、トランプ大統領が、イスラム圏を中心とした国々からの入国禁止令を発令したことに対して「アメリカは“私たちと彼ら”という視点でしか世界を見ていない。これはアメリカに限らず、わたしの国の強硬派も一緒だ」と抗議の声をあげ、アカデミー賞授賞式への出席をボイコットした。

それに対し、世界中の多くの映画人たちが彼の主張に賛同し、大きなニュースとしても取り上げられた。結果的に、『セールスマン』は監督にとって2度目のアカデミー賞外国語映画賞を獲得することになる。

緻密な脚本・演出で息をのむ心理描写を実現

伝統と近代化のはざまで揺れるイランの社会情勢を背景に、人間と社会の本質に鋭く切りこむような作品を数多く発表してきたファルハディ監督。緻密な脚本・演出による息をのむような心理描写は、監督が学生時代から親しんできたという演劇からの影響も色濃い。また、イランにはイスラム文化指導省による厳しい検閲制度があるが、ファルハディ監督はその厳しい制約を逆手にとって、意欲的な創作活動を行ってきた。

本作の撮影はコロナ禍に見舞われ、およそ10カ月の延期を余儀なくされた。だがその間に、ファルハディ監督は俳優陣やスタッフたちとともに徹底的なリハーサルを敢行。ファルハディ監督自身、「このリハーサルは本当に有益だった」と振り返っており、これによって役者陣の役柄への理解度が深まったと同時に、台本を練り直すことにも時間を割くことができたという。

映画を観ていると、ラヒムは善良な人物のようにも見えるが、一方で彼をうそつきだと非難する声も飛び出しており、その境界線があいまいになる。

また、劇中でラヒムと対立するバーラムも一見、悪人のようにも見えるが、だがある面では同情すべき人物のようにも見えてくる。そこには一面的では語れない複雑さがあり、そして登場人物の中にある矛盾が、やがて自分自身を見失わせ、予想もつかないような行動をもたらす。そしてSNSというツールによって、そのドラマはより深化している。

ファルハディ監督自身も海外のインタビューで「社会で生活していると、ある人にとって良いことが、別の人にとっては良くないことがわかる。何が正しくて、何が間違っているのか。自分にとって真実なのか、嘘なのかは、各人が自分で判断できなければならない」と指摘している。まさにファルハディ作品にはそうした目を見開かせてくれるような魅力がある。

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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