父はもともとそれなりの会社に勤めていた。だが再婚も影響したのか、引っ越しを機に家を購入。もともと持っていた家は手放さず、二重でローンを支払うようになった。その結果、家計は逼迫していった。
後の奨学金につながるエピソードだが、一方で、継母との関係性も悪化の一途をたどったという。
「継母はたびたび『弟には食事を与えないように』などと神のお告げ的なものを受け取っていて……それで、本当に弟に食事を与えなかったりしたんですね。
僕はもともと『教団に言われて再婚するのはおかしい』と思っていたし、当時、思春期だったのもあって、継母とのケンカが絶えませんでした。高3になり、受験勉強にも支障をきたすようになってきたため、亡くなった実母の祖父母の家に逃げたんです」
恩田さんが通っていた高校は、県の公立高校の中では2番目に位置する進学校だった。東京大学や京都大学に進む生徒もいるほか、関西や東京の有名私立に進学する者が大半。そんな中、恩田さんが進学を希望したのは芸術大学だった。
「幼稚園の頃にとある特撮系の作品を見て、『かっこいいな』と思ったんですよ。そこから映画やミュージックビデオといった映像作品に触れていって、中高生になる頃には『こういう仕事に就きたいな』と思うようになりました。
ただ、僕が住んでいた田舎のほうだと、『映像の仕事』というのが、どういうものなのか伝わらないんですよね。だから、『映像の仕事をするために芸術大学に進学したい』と父に言っても前向きに捉えられませんでした」
もともと家計が逼迫していたこと、継母との関係が悪化していたこと、芸術系の仕事への理解がなかったこと……これらが重なり、奨学金につながるわけである。
ただ、恩田さんは志望校への受験に失敗。同時に受けた一般大学は合格したが、「この大学のために奨学金を借りるのは……」と迷った末に、1年間の浪人生活を選んだ。浪人中は新聞配達のバイトをしつつ、受験料やその後の学費のために60万円を貯めて、翌年無事に志望校に合格したという。
バイト漬けでもカツカツな大学生活
1年浪人して入った芸術大学。OBにはそうそうたるビッグネームが並ぶが、将来の保証があるわけではなく、また学費も4年間で約600万円と高額だった。奨学金だけでは賄えず、また親からは理解も援助もない。
芸大の特性上、出ていくお金も多かった。授業そのものは出席しなくても単位の取れるものが多かったが、自分のスキルやセンスを磨くには研鑽が必要だったからだ。
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