※前編はこちら:「100年に1人の逸材」棚橋弘至のキャリア論
※中編はこちら:棚橋選手の人脈術、「出会いに照れるな」
冬の時代を通ってきた新日本プロレス
塩野:新日本プロレスが一時期「冬の時代」だった原因は、どこにあったのでしょう。
棚橋:たぶん、みんな言い訳を探していたんですね。「テレビ放映がゴールデンタイムじゃなくなったから」とか。「リング上は十分面白いんだから、あとはスタッフが頑張るだけだ」とか。僕からしたらリング上も全然面白くないし、ゴールデンじゃなくなったのも原因じゃない。
当時はスタッフにも選手にも、「新日本らしい戦いとはこういうものだ」という思い込みがあったんですよ。「うちの味はこうだから、こう食べてくれ」という頑固おやじの料理屋さんみたいなこだわりがあった。みんなそれを変えたくないから、このまま頑張っていればなんとかなると思ってたんですね。でも人気が下がってるのにそのまま頑張ってても上がるわけがない。変えるしかない。だから僕は戦い方をガラッと変えた。ガラッと変えたアレルギー反応が、3、4年続きましたけど、耐え抜きましたね。
変える行動をしなければ、沈むだけ
塩野:そのとき棚橋さんの意見に賛成してくれる仲間はいたんですか。それとも孤独な戦いだったのでしょうか。
棚橋:つねに孤独な戦いでした。たとえば僕は、プロレスはお客さんに見てもらうものだから、面白くなければいけないと思う。だからお客さんと一緒に盛り上がりたい。騒ぎたい。棚橋コールをとにかく起こしたい。だから大事な試合でもコールが起きるまで始めなかったりしていた。するとコールが起きずに、ずいぶん長い間始まらなかったりして、会社からは「タイトルマッチなんだから、そういうパフォーマンスはいらないよ」なんて言われたりもしたわけです。
塩野:そういうこと言われちゃうんですね。
棚橋:だけど同じことをやってたら下がっていく一方。沈むのを待ってるだけです。そこに気付けるかどうかですかね。
塩野:でも会社や組織を変えたくても、1人でやるのはつらい。みんな、会社の外では「もう、うちはダメだよね」とか、「こうしなきゃ危ないよね」とか言ってるのに、いざ会議になるとシーン……みたいなことってあると思うんですけど。
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