誰もが「演技をしながら生きている」と言える理由 「パフォーマンス心理学」の4つの学問領域

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おいしい食事に思わずため息と「おいしい」という言葉が出れば、そこに演技性は入り込まないでしょう。しかし、調理した人の前で言う「おいしい」にはすでに演技性が入り込みます。感動と感謝を込めて相手の苦労に報いたい、と思うのが人情だからです。

テレビのグルメ番組で「まいう〜」などと叫んで顔中の表情筋をくちゃくちゃに収縮させて喜んで言うセリフは、完全に演技です。そこにはちゃんと台本も、照明係も活躍していて、「まいう〜」の言い方は完璧であることを期待されます。

私は「われわれ1人ずつのすべての日常の言動に何らかの演技性がある」と断言し、この時の演技性をパフォーマティビィティ(performativity)と呼びます。

演技するあなたの一日

では、あなたのある一日の駅での出来事を見てみましょう。

あなたは、駅の階段で不注意にもつまずいて転んでしまった。右手に重い書類カバンを持っていて、このカバンは中身も大事だけど、最近大金をはたいて買った物だから傷物にしたくないと、とっさに思いましたね。しっかりとつかんでいる必要があります。

そうは言っても、左手のスマホも落とすのは問題だ。だから左手でスマホを持ったまま転んだ膝のあたりのズボンが汚れていないか、本当はちゃんと見たい。でも、次々と人も来る。ぶざまに転んだままの状態でズボンのチェックはできないぞ。

そこで、ササッと軽快に立ち上がり、何もなかったかのようにスタスタとまずは階段の踊り場まで歩く。

そこで周囲をさっと見て、誰かが見つめていたり、小馬鹿にする人がいないのをすばやく確認してから、おもむろに「アイタタ」とつぶやいて、痛む膝をさする。幸いズボンも膝も無事だった。

誰にも、こんな経験が一度や二度は必ずあるはず、と私は想像します。私にも、あるからです。

パフォーマンス学の創始者E・ゴッフマンはつねに、日常の愉快な場面を観察したことでも知られています。

例えば、彼の作品には海岸を歩く1人の青年プリーディが出てきます。彼は歩いています。美しい歩き方というよりはだらだらと。ところが、ふと彼は近くのホテルの窓から誰かが下を見ていると気づきました。彼は背筋を伸ばしスタスタと美しく歩き去る。

結局、私たちは他者の見る目がある限り、何らかの演技をするのが宿命だとゴッフマンは言うのです。

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