そういう中で夢を追いかけるというのは、いくらこれだけの綿密な計画があったとはいえ、何の保障もないわけですよね。にもかかわらず、リチャードさんにはそれをやり抜く力があった。華やかなサクセスストーリーということなら、いくらでも描きやすいと思うんですけど、この映画は、そこに行くまでの道のりを描いている。トッププロを目指す人たちっていうのは、ここまでではないにせよ、世界中みんな、同じようにやっています。そこまでやらないと、その地位を目指せないということは、私にしたらとてもリアルだなと感じましたね。
――そうしたトッププロをひとり育てるのも大変なのに、姉妹で育てるというのもすごい。
そうですね。しかも映画の中にも描かれていましたが、やはり1980年代、1990年代のテニス選手は本当に白人のほうが多かった。私も目の当たりにすることがありましたけど、1990年代には、黒人の選手がウィンブルドンで決勝に行っても、スポンサーひとつつかないという時代もあったわけです。
今ではそういうこともほとんどないですけど、90年代ってそこまで昔のことではないはずなのに、そういうことが普通に、現実としてあったんです。そういう中で、ビーナスとセリーナが出てきて。その世界を変える力があったし、変えていった。でもそこはやっぱり相当な覚悟がないと、そういう状況を変えることは難しかったと思うんですよね。
ただテニスが強ければいいわけではない
――映画では、トッププロになるためのユニークな育成法が描かれていました。
今は、特に世界の流れとしては、日本でいうところの中学校を卒業して15、16歳からプロを目指しています。そしてテニスのひと握りの存在になるために、日本でいう高校には、通信で学ぶとか、もしくは通信さえも行かない、というのが普通になっています。
そういう世界ですが、でもリチャードさんは、ただテニスで成功するだけではないという部分で、しっかりと教えながら育てていた。ちゃんと姉妹に勉強をさせたし、人に対する接し方や表現、生き方というものまでも教育を受けさせた。そういう部分がちゃんとこの映画の中に見られます。
ただテニスが強ければいいんだ、ということではないというのは、きっちりと理解してほしい部分ですね。でもやっぱりそこには、親子のちゃんとした家族愛が。そこにお互いへのリスペクトがちゃんとあるからこそ成り立っているということも、ベースにあると感じています。
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