1つ目。まず日本企業のポスターについて指摘してくれた。そのポスターは、老年の男性社長がニコニコと笑いながら、若い女性社員をまわりに従えていた。これはハラスメントどころか、女性を性的に搾取している状況を自ら吐露しているという。女性の商品化に、男性が気づいていないのだ、と。
2つ目。SDGsやダイバーシティに取り組んでいきます、と決意を語る経営陣の写真が男性だけで占められていること。さらに、社外取締役に、言い訳のように女性が採用されている。もちろん外国人はいない。ダイバーシティといいながら、経営陣のなかに転職経験者もいない。この良し悪しを私は語る気持ちもないが、少なくとも、経営陣の写真を見る機会があれば、世界の消費者が敬遠する可能性はあるだろう。
3つ目。日本企業はオープンな取引を喧伝している。しかし、実際は上役と取引先のあいだのコネやしがらみで決定される。新型コロナで「三密」という言葉が流行したが、日本では「密室・密談・密約」ともいうべき三密取引が“まん延”している。
そして、この現代では、上記3つが駆逐されようとしている。
女性をアイテムのように扱うような宣伝活動を少しでもやれば大きな批判を浴びる。無自覚な宣材はただちに批判を受けるだろう。
SDGsやCSRも、表面的な取り組みは「SDGsウォッシュ(皮相的な取り組み)」として批判を受けるようになっている。
また特定の利権や、しがらみに立脚した特定取引先の優遇は、株主から注視されるようになった。
コンテンツの漂白化
世の中をきれいに、きれいにしようという漂白化はいたるところで進んでいる。
私と小学生の息子は、サブスクリプションサービスで昔の特撮ヒーローものを視聴する。しかし、その際に息子の感想は「あの怪獣をやっつけたあとの後始末は誰がするの」であり「あの怪獣はそんなに悪いことをしていないのに、殺してしまっていいのか」だったのが印象的だ。このところ映画『大怪獣のあとしまつ』がヒットしているが、その意味もよくわかる。
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