農水省のコンプラ豆まき
「鬼であっても豆をぶつけるのはいけない」
農林水産省が「農水省的コンプライアンス豆まき」をYouTubeで発表した。豆まきにもコンプライアンスが求められるらしい。いわく「消毒・換気を行い大声は控えましょう」「豆まきに使った豆は食ロスをなくすために食べたい」として小分けのラッピングを推奨した。
さらに「人に対して勢いよく豆を投げるのは危険です」として、鬼に確認したあとで常識の範囲で投げろ、とした。「すべての鬼が悪いと一概に決めつけることはそういう人種、人種の違いによる偏見、差別的な表現と捉えられる恐れが……」としている。
その後の動画では、鬼に豆を投げずに、パッケージの豆を渡し「お引き取りください」と語るにとどめている。また、豆を食べる個数についても多様性を強調している。
もっとも、これは農林水産省のギャグと捉えるべきであり、あまり真剣に取り扱うのは趣旨と異なるはずだ。逆に、現代の過剰なコンプライアンスに皮肉を伝えていると理解するべきだろう。しかし、そもそもこのような動画が発表されること自体に、ある種の時代を感じざるをえない。
この農水省のコメントのなかで、やはり注目したいのは「すべての鬼が悪いと一概に決めつけることはそういう人種、人種の違いによる偏見、差別的な表現と捉えられる恐れが……」のところだ。鬼の見た目がどうであれ、それだけで判断はできない。このような発言は逆説的に、誰もが見た目で判断してしまう現実を意味している。
ボディシェイミングという言葉がある。これは、外見をからかったり、批判したりすることを指す。肌の色からはじまって、身長、体型、顔、髪の色、髪の毛の多寡……さまざまにいたる。注意せねばならないのは、それがいい意味でも発してはならない点だ。やせている、とは褒め言葉のつもりでも、本人はイヤかもしれない。大きな瞳をたたえたとしても本人は気にしているかもしれない。
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