コロナ対策「証拠に基づく政策形成」の重要な論点 感染リスクに限らず広範な危機意識共有が不可欠

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不確実性が大きい状況では、このような柔軟な予算編成をしておく重要性は大きい。後で変更できないという制約のもとでは、対策を講じないという方向の選択をすることが合理的な選択になる。それは迅速性が要求される状況では好ましくない(例えば、2020年の感染拡大時期にGo Toトラベルを実施することになった背景には、感染が数カ月で収まるという想定で政策が作られたことがある)。

医療提供体制の逼迫を防ぐためにさまざまな補助金制度の制度設計がなされたが、十分に機能しなかった。この点については、随時修正されてきたが、感染拡大のスピードに間に合わないことが多かった。

新型コロナ感染症という危機において、コロナ対策に一時的に多額の支出が行われるのは当然であるが、それはショックが一時的だという前提があり、そのショックからの回復後、コロナ対策費を日本経済が十分に負担できるということを想定している。東日本大震災の際でも、その財源についての議論はされていた。コロナ後の財源についても議論をすべきである。

持続化給付金・雇用調整助成金を中心とする経済対策は、新型コロナ感染症による一時的ショックがなければ倒産せず、解雇もされなかったはずの人たちを守るためのものである。この政策の効果で、日本の失業率の急上昇を防いでいることは評価できる。しかし、それが過剰になっていないかをチェックすべきである。

(例えば、2020年の日本の倒産件数は東京商工リサーチの調査では、2020年以前の5年は8000件を超えていたが、2020年は7773件、2021年は6030件で、この水準は1989年、1990年というバブル景気の頃と同じである)

新型コロナだけの特別対応、政府には説明責任がある

一時的なショックを防ぐために対策を行ったとしても、必要以上に倒産を防いで非効率な企業の延命策になっていないのかどうか、という観点から見直しが必要である。

命を守るという点での新型コロナ感染症対策も似たことが指摘できる。日本の平均寿命は毎年延びているが、2005年の季節性インフルエンザ流行の際のように寿命が減少したこともある。新型コロナ感染症に対して、どの程度まで感染抑制策を行い、医療的対応をするかということは、高度な政治的判断である。

しかし、新型コロナ以外の病気では、同等のリスクがあっても特別な医療的対応をしないことと比べて、新型コロナ感染症の場合だけ特別に対応すべきであることについて政府には説明責任がある。若者の自殺を増やし、出生数が減るほどの行動制限を続けること、子供たちの発達や学力の低下につながるような制限をすること、国際的な日本の立場を弱めるような水際対策の継続をする必要性があるのかを国会でしっかり議論する必要がある。政府の予算は、国民の税金から支出されている。その税金は、現在の国民も負担するが、現在の子供や将来の子供も負担する。

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