人の気持ちを変えるための説得は、できるだけシンプルでわかりやすい論調でなければならない。それでいて相手が「確かにこのままでは、自分が困る」と当事者意識を持たせる要素を加えることで、人の心は動かしやすくなる。
大久保はそのことをよく知っていたのだろう。本音は「長州にとどめを刺すことで、幕府が再び力を持つのは避けたい」というものだったが、それでは周囲の共感は得られない。そのため、大久保は大義名分としてこう掲げた。
「異国からの艦隊が襲来するなか、国内で争っている場合ではない!」
これだけでも主張としては十分だが、慎重な大久保はさらに「相手が困る要素」を極めてわかりやすく入れる。大久保は朝廷の公家たちにこう呼びかけたのだ。
「長州への出兵を拒否する藩がいた場合は、その藩も勅命に背くことになる。そうすれば長州と同じく朝敵になるが、それでもよいのですか?」
確かに「朝敵となった長州を討つべし」と、勅命を下した場合、その勅命に背く藩も同じく朝敵になり、長州と同様に討たなければならなくなる。これではキリがない。この理論が秀逸なのは、対峙している大久保自身の脅しも含まれているところだ。
「少なくとも薩摩藩は、そんな勅命に従いませんよ。ならば、私たち薩摩藩も朝敵となりますが、はたしてそれでいいんですかね?」
薩摩藩の軍事力をよく知る公家たちが震えあがるのは当然のことである。大久保の説得が功を奏して、長州征討は見送りのムードが漂っていた。
状況をひっくり返した徳川慶喜
しかし、一人の男が状況をひっくり返してしまう。禁裏御守衛総督として朝廷を警護する徳川慶喜である。
慶喜は将軍の家茂とともに御所に参内すると、こう嘆いた。
「一匹夫の言うことを鵜呑みにして、朝議で決めたことを軽々しく動かそうとするなど、天下を見渡してもこれほど異常なことはない」
にじみ出る怒りがありありと感じられる一言である。「匹夫」(ひっぷ)とは「身分が卑しい」という意味であり、大久保のことを指す。慶喜からすれば、外様にすぎない薩摩藩ごときに朝廷が振り回されるのが見ていられなかったのだろう。
ただ、慶喜とてそんな本音だけでは、人は動かないと大久保同様によく知っている。プライドのない人間をまともに相手にしても仕方がない、とすら思ったに違いない。
そこで慶喜もまた、大久保とまったく同じように「相手が困ること」を打ち出すことで、公家たちの揺らぐ心に喝を入れている。
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