それまでは「どうして私だけが……」と、心の奥でとぐろを巻いていた思いが、ゆっくりとほどけていくのも感じた。人前で話すことで、自分と病気の関係を少し距離をおいて見られて、気持ちの整理もつけられるようになった。
「すると自分は普通で、決して特別じゃないと気づけました。また、他の人と比べて『この点が少し甘いな』とか、逆に『ここは自分に厳しすぎたかも』という発見もありました。結果、気持ちがかなり楽になりました」(大登さん)
コロナ禍で外出自粛が広がって以降、コミュニティ活動はオンラインで続いている。
台所で立ったまま一人大泣きした夜
「お母さん、治療をしながら毎朝5時に起きて弁当作ってくれてありがとう」
長男が野球部を引退した夏のある夜、台所で後片付けをしていた大登さんの背後からそう声をかけてきた。そのまま2階の勉強部屋へ駆け上がっていったのは、彼なりの照れ臭さもあったのだろう。
「それまで『うん』『お金』『メシ』の3語しか聞いたことがなかったので、あんな長い日本語を話すなんて……。階段を上がる彼の足音を聞きながら振り返りもせず、私、立ったままで大泣きしましたもん。あの言葉は一生忘れません!」
つらかった放射線治療終了後、次男に「夏休みにどこか行きたい!」と伝えると、上から目線で「ニューヨークなら行ってもいいよ」と言われたことも思い出した。
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