何しろ会社を辞めるということは給料がもらえなくなるということで、これまではどれほどイマイチな社員だったとしても、毎月決まった日にまとまったお金が口座に振り込まれるのが「当たり前」だったのが、これからは自分で一から仕事を取りに行かなきゃ待てど暮らせど一銭も振り込まれないというザ・非常事態を齢50にして迎えるのだ。それはもうマジで恐怖以外の何物でもなかった。当時はもう本当にお金の計算ばかりしていた。
でも真面目に計算してみれば、暮らしをものすごーく切り詰めれば、つまりは日々自炊で超粗食を食べ毎日同じものを着て極小の家で暮らす修行僧のごとき生活をすれば、それほどしゃかりきに稼がずとも年金が出るまでの期間を路頭に迷うことなく暮らしていけそうだということも分かった。
お金に代わる「人生の意味」とは
おおよっしゃ! めでたしめでたし……と言いたいところだが、私の本当の悩みはここから始まったのである。
問題は、「お金がなくなった時の自分に何が残っているのか?」ということであった。
例えばすごい芸術的才能があるとか、ものづくりができるとか、つまりお金がなくても何か人様を唸らせるような確固たるものが私にあれば、お金がなくとも前を向いて生きていけそうな気がするのである。
でも当時の私といえば、ただの会社員。新聞記者という固定的な仕事をずっとやってきたので、その意味ではある種の職人と言えないこともないが、取材したものをできるだけ短い時間に短い文章にまとめて訂正など出さずに済むように書くという特殊技能は、汎用性があるかといえばまったくない。
なので元新聞記者だからといって、何ができるかといえば何もできないのである。需要もなく、つまりはこれといって人様のお役にも立てないのである。
ってことはですね、私には一体何が残るのだろう。
そこで俄然重要になってくるのが、お金だ。
人に誇れるような能力がなくとも、お金さえあれば人はちやほやしてくれるのである。でも能力も金もないとなれば、ただの「何もない人」になってしまう。何とか死ぬまで細々と生き永らえるだけになってしまう。そんな人生にいったい何の意味が?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら