とはいえ、ダライ・ラマ様ほどの影響力のある方がこの様な発言をされても、まだまだ世の大半の人はお金に囚われているのでありまして、つまりはそれほどまでに、お金とはものすごいパワーを持っているのだ。お金とはキリストとかブッダとかマホメットとかも負けそうなくらいの全世界的スーパースターなのである。
原因は色々あろうが、私が思うに、お金がこれほど信頼されるのは、何よりもまず、その圧倒的平等性によるのではないだろうか。人種・性別・生活・家柄・性格・能力その他にかかわらず、お金さえ持っていれば、誰もが平等にモノやサービスを手に入れることができる。そうお金は裏切らない! ゆえにお金さえあれば人生はなんとかなる、なんとでもなるーーそのように考える人が多いのは、ある意味当然のこととも言える。
そしてお金は「数字」なので、他人と比較しやすいというのも、その圧倒的パワーの源であろう。あの人は1000万円持っている。あの人は10万円持っている。そう言われれば、なんだか1000万円の人の方が10万円の人よりもずっと能力があるような、エライような、そんな気持ちになってしまう。
そんなふうに、身も蓋もなく、人の向上心や競争心や嫉妬心を煽っていくのがお金である。となると、お金があったら本当に幸せかどうかなんてことはどっかへ行っちゃって、とにかく「ある」か「ない」かで競争することが目的になってしまいがちなのである。
「お金の計算」ばかりしていた私
なんてことをゴチャごちゃ書いているのは、まさに私が少し前まで、もうまったくそこに囚われてきたからだ。
50歳で会社を辞めようと決めた時、最も悩んだのはまさに「今の高給がもらえなくなったら、たちまち幸せが遠くへ行ってしまうんじゃないか」という恐怖だった。
いやね、こう言っちゃなんだが、私は一般の方々よりは多少「覚醒」していたのですよ。
何しろ原発事故をきっかけにはじめた超節電生活で、ずっと「あって当たり前」「なければ死ぬかも」と信じ込んでいた冷蔵庫とか洗濯機とかエアコンとか掃除機とかテレビとかをことごとく手放すという荒技をエイヤーと成し遂げておりまして、その結果、これまでなきゃ生きていけないと信じ込んでいたものが、やってみれば案外そんなことはないという大きな気づきを得ていたのである。
そればかりか、むしろ電気などなくても生きて行けるどころか、ない方がよほど合理的だったり楽しかったり豊かだったりすることも多いということを身を持って体感していたのである。
でもですね、その覚醒した私にして、コトは「電気」ならそう思えたけど、「お金」となるとそう簡単には割り切れなかったのであります。
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