そうこうしていると、車は、平野屋の近くになってきた。
そのとき、松下が、「きみ、この辺の土地は、みんな、わしのものや。それだけではない。これから行く平野屋さんも、わしのものや」と言う。
驚いた。「えっ!そうですか」と思わず、応じた。はあ、さすが、松下さんだ。そうだったのか。すごいな。だから、平野屋さんと言ったのか。こんなこともやっていたのか、と思った。すぐに、「知りませんでした!」と、横の松下の顔を見ると、にこりと笑って、こう言った。
「まあ、そういうように、物事、考えたら、楽しいんやないかなと。この辺の土地は自分ものや。けど、ここの管理まではできん。それで、ほかの人に頼んで、活用してもらっている。そう思ったら、ここにゴミを捨てようとか、思わんやろ。きみは、自分の家の庭に、ゴミや紙くずを捨てることはせえへんわね。それと同じや。
これから行く平野屋さんも、自分のもんやと。自分は電器屋をやっていて、とても手が回らんから、それでいろいろな人に、やってもらっているんやと。だから、鮎もタダや、料理もタダや、ということやね。けど、その鮎を焼いてもらったり、料理をつくってもらった、ということに対してのお礼というか、それ相当の心付けはせんといかんわね。だから、おカネを払うというのではなく、みなさん、ありがとう、ご苦労さん、ということになる。そこに、感謝の気持ちも自然に出てくる。そう考えたら、面白いなあと、いま、ふと考えたんや。どやろうか」
思い込みが人間を変える
この人、面白い考えをする人だなあと思いつつ、内心、キツネにつままれたような思いをしたことがあった。だが、考えてみると、確かに一理ある。たとえば、電車。いや、バスでもいい。われ先に席を奪い合う光景は、都会ではよく見られるし、それどころか、私自身、いつも、急いで座席を確保しようとしている。
しかし、松下の、このような考え方をすると、心持ちも違ってくる。電車に乗ろうとする。この電鉄会社は、私の会社だ。しかし、自分は別の仕事をしていて、忙しいから、他の人に経営をしてもらっている。ということになれば、座席取りも、急いで、という考えはなくなる。この電車に、たくさんの人が乗ってくれる。どうぞ、どうぞ、皆さん、お座りください。私は、結構ですよ。この電鉄会社のオーナーですから、という気分になる、かもしれない。
そうすれば、譲り合いも、あるいは、好ましくない行為も出来なくなる。なにせ、乗客皆さんが、大事なお客さんということになるからだ。
松下幸之助のさまざまな発想に、以降、幾度も驚きと納得と面白さを感じたものである。
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