「あの店も、この土地も、わしのものや」 あれこもこれも自分のもの、そう思うと楽しい

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昭和の大経営者である松下幸之助。彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか。松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しい。(編集部)

 

お昼前になった。昼食の時間である。松下幸之助に、お昼はなににしましょうかと尋ねると、「そうやな。これからの予定は、あるか。今日は、ないな。それなら、きみ、鮎でも食べに行こうか」と言う。松下の昼食は、たいてい、ざる蕎か、少量のうな丼などであった。側で仕事をするようになって、2年目ぐらいであったから、慌てた。

私の表情を読みととったのだろう、松下が「平野屋さんという鮎屋が、嵯峨野にある。電話して聞いてくれや。君も一緒に行こう」と言ってくれた。6月に入っていたから、鮎は解禁されている。早速、ベテランの女性社員に頼んで、電話してもらい、予約してもらった。

平野屋は、その敷地内に愛宕神社の一の鳥居がある。創業して400年以上。時折、テレビドラマの撮影場所で使われたり、CMで使われたりするところである。

赤い毛氈(もうせん)の床几が二つ三つ。春先の若葉の頃と、秋の紅葉の時などの絵になる佇まいは、多くの人たちが、容易に思い浮かべることが出来るだろう。もちろん、その時は、京都に前年に来たばかりだから、こういうところだと知る由もなかった。

車の中で聞いたさまざまな話

車の助手席に乗ろうとしたら、後部座席、松下の横に乗れと言う。緊張をしながら、言われるままに横に座った。

車が動き出す。時折、ポツリポツリと、いろいろと話かけてくれた。京都には、真々庵のほかに、その近くに楓庵(かえであん)という、もっぱら、松下が寝泊まりする私邸があった。ここには西村ふくというおばあさんが、松下の世話をしていた。松下が、その楓庵の話をしてくれた。

「あそこはな、以前は、旅館だったんや。旅館という割には、そんな大きくはないなわね。けど、結構有名な人が利用していたということや。吉田茂さんとかな、松永安左衛門さんとかな、ひいきにしておったようや」

というような話であったが、そのとき初めて、楓庵が、旅館であったことや、吉田茂、松永安左衛門という名前を聞いて、ああ、あそこはそういうところであったのかと、初めて知った。そして、外を見ながら、「京都はええな。日本らしいとこが多いな」など。

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