浅田次郎が「架空の母」崇める還暦男女を描いた訳 「母の待つ里」理想の故郷にすべてが崩れ落ちる

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浅田次郎氏が失われた故郷に思いをはせて描いた最新長篇『母の待つ里』の舞台裏とは?(撮影:尾形文繁)
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東京・神田育ち、めっぽうギャンブル好き。「録音するの? それじゃ今日はA面(世間的に当たり障りのない面)で」「いえ先生、B面もぜひしゃべってください」。
小説家らしい無頼で知られる浅田次郎は、トレードマークでもある小粋な和装で炬燵にあぐらをかき、悪戯な笑みをニヤリと浮かべた。場所は神楽坂の新潮社クラブ。クラブなんてポップな名前で呼ばれるが、実は名作家たちをカンヅメにして原稿を書かせるための施設なのだとか。原稿が書けずに七転八倒した作家の幽霊が出る、との噂を聞いていったいどんな監獄かとおののいていたら、昭和の文士の邸宅をそのまま買い上げたかのごとく、瀟洒な和風建築だった。
代表作は『プリズンホテル』に『蒼穹の昴』に『鉄道員(ぽっぽや)』に『壬生義士伝』に……と、挙げたらキリがない。人間味あふれる人物描写、流れわたるような物語と浅田ならではのひねりに、老若問わず熱狂的なファンがたくさんいる。映像化多数、受賞は吉川英治文学新人賞、柴田錬三郎賞、直木賞、中央公論文芸賞、毎日出版文化賞に大佛次郎賞その他その他、さらに紫綬褒章まで。
日本ペンクラブ元会長の5年ぶりの現代小説最新作は、その名もいかにも情感、郷愁あふれる『母の待つ里』(新潮社)。それぞれに仕事人生を歩み、大なり小なりの成功へたどり着いたけれど家族も故郷も持たない、いまどき還暦世代の「おひとりさま」男女の物語だ。ところがこの作品、「僕は嘘つきだからね」と作家本人が煙に巻くように、荒唐無稽な設定と頭じゃわかっていながら浅田の絶大なる筆力に丸め込まれ、巻き込まれ、気持ちよく泣かされてしまう、さすが一流の嘘(フィクション)なのである。(文中敬称略)

仮想の母であることはわかっていた

やられた。浅田次郎の文章は流れるように読み手を巻き込んで、こんな突拍子もない設定をまるで当たり前のようにしてなめらかに進み、思わず落涙するオチまでつく。

世界ナンバーワンのクレジットカード会社が提供する一泊50万円のふるさと体験「ホームタウンサービス」に、気まぐれ半分に申し込んだ大手食品会社社長、有名製薬会社の元営業部長、専門病院のベテラン女医の3人。彼らがカード会社の指示どおりに東北の山中でバスを降りると、出会った住民たちは久しぶりの帰郷を歓迎してくれ、腰の曲がった働き者の「母」が曲がり家で出迎え、囲炉裏端に飾らない手料理を並べ、床をのべてくれる──。そこは過疎の村落を利用した、ふるさとテーマパークのような空間だったのだ。

次ページだが真偽などどうでもいいような気がした
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