浅田次郎が「架空の母」崇める還暦男女を描いた訳 「母の待つ里」理想の故郷にすべてが崩れ落ちる

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ありていに言えば、年会費35万円という世界最高のステータスを誇るカード会社に、これまた一泊50万円という多額の旅費を払い込んで調えさせた「偽りの故郷・1泊2日の旅」。都会の暮らしに疲れた会員がカード会社の専用回線に電話をすると「ユナイテッドカード・プレミアクラブ、吉野が承ります」とすましたコンシェルジュが出る。ふるさとの村は「ヴィレッジ」、母は「ペアレンツ」と呼ばれ、「原則としてヴィレッジのチェンジ、ペアレンツのチェンジ等のご要望には添いかねます。昨年◯月◯日にご利用になったステージでよろしいでしょうか」。リピーターのゲストはいわば前回のRPG(ロール・プレイング・ゲーム)終了時点でセーブした「ステージ」から物語をコンティニューするということだ。

浅田次郎(あさだ・じろう)/1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞など数々の文学賞に輝く。2011年から第16代日本ペンクラブ会長も務めた(撮影:尾形文繁)

村人たちは、エキストラに至るまで全員が地元民ではあるが、カード会社からお金を払われているテーマパークの「キャスト」。そこに都会から富裕層の「ゲスト」が入場することで、彼らは「あんや、◯◯ちゃんでねえが」「きたが、きたが、よぐ帰(けえ)ってきた」と素朴な演技をして出迎える。都会で商売や消費たるもののカラクリをさんざん知っているはずのゲストたちがどうしたことか、茅葺き屋根の曲がり屋で自分の帰りを待つ老いた「母」ちよの姿にあるはずのない既視感を覚え、温かい郷土料理に心を溶かす。「東京でなんぼ出世すたって、ここはおめの生まれた家(ええ)で、おらはおめの母親(あっぱ)だじゃ」「えがか。何があっても、母(かが)はおめの味方だがらの」との言葉を聞いて、とたんに「架空のふるさとに呑み込まれてしまう」のである。

「アメリカ人が好きそうな話だなと考えたんですよ」

「仮想の母であることはわかっていた。だが、何があっても自分の味方だと言ってくれる人の真偽など、どうでもいいような気がした」

「涙が込み上げた。こんなふうに面と向かって叱ってくれる人はもういない」

「会社に捨てられても、女房子どもに去られても、預金の半分が消えてしまっても、この砦のような古家と母のある限り、自分は安泰なのだと思えた」

「人生に疲れ果てた寄る辺ない人々が、ありもせぬふるさとと、いもせぬ母を求めてあの家を訪れる」

どんな近未来SFかというような、半歩先のニーズとサービスを皮肉にも映し出す浅田の筆に、読み手もまた気持ちよく身を委ね、登場人物たちとともに架空の母に酔いしれたのち、意外なラストに涙する。こんな意表をつく発想はいったいどこから出てきたのかとたずねると、浅田は「アメリカ人が好きそうな話だなと考えたんですよ。カード会社が思いつきそうなサービスでしょう」と始めた。

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