浅田次郎が「架空の母」崇める還暦男女を描いた訳 「母の待つ里」理想の故郷にすべてが崩れ落ちる

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(撮影:尾形文繁)

一流のエンタメを書き上げる才能。少しくらいダメな人を装って世間を冷静に観察し、人の心理を見抜いて小説にする浅田の、落語家のような能弁に聞きほれてしまう。

「東京で暮らすというのは不幸なことだよ」

人間を描きながら今の時代をくっきりと映し出したこの『母の待つ里』、読んだ先から次のTBSの日曜劇場ドラマになっていくのが見えるような気がした。日曜の夜、いま働く世代の男女が、翌朝から始まる1週間に備えてチャージするべく見たい世界だ。そう伝えたら、浅田はキラリと目を光らせた。

「うん、自分の都会生活に疑問持ったことない? 僕は、若い時分からずっと疑問を持ち続けている。少なくとも18歳から持ち続けている。何でこんなに人が集まってくるんだろうな、こんなところにという。たまにどこか旅行して、どこか違うところ行くと、皆いいところ。どう考えても田舎っていいところ。で、東京じゃ明治神宮の森やいちょう並木をありがたがって、あれがふるさとの原風景だぞ。悲しくないか、それ。原風景も何も、東京は皆変わっちゃって。先週なんか僕、渋谷で迷子になっちゃったよ」

そこからしばらく、いかに今の渋谷駅が迷宮であるか、五島プラネタリウムはどこへ行った、あの1階のユーハイムのバームクーヘンが好きだった名品だ、僕の実家のあった神田なんて今じゃ面影も何もない、いつまで経っても変わらないのは神保町だけだよ……と続くが(そして大変に面白いのだが)、割愛させていただく。

「だから、失われたわけよ故郷が、何もかもが。僕は本当に疑問持ってた。どうしてこんな東京に、大学や仕事やらでこんなに人が集まってくるんだろうって。地方といろいろ比較したら、東京で暮らすというのは不幸なことだと思うんだよ。人間の幸福度って、やっぱり人口密度と関係ある。地方都市に行くと、同じように便利で、いろいろなお店もあるんだけど、人が少ないよな。

それはね、渋谷で迷子になるより幸せなことだなと思って。迷子になっている間にどつかれるんだよ、いろいろなやつがガツン、ガツンとぶつかってきてさ。で、おじいさんはやっぱり茫然とするわけ、その場にね。こっちじゃなかったと思うから急に180度方向変換したりするわけ、おじいさんだから。すると人とぶつかって『ちぇっ』なんて言われるわけ。自分はなんて不幸な町に生まれ育ったんだろうと思う。だからさ、みんな故郷(くに)に帰らないか?」

浅田は、このふるさとを書くにあたり、岩手県・遠野へ取材に出かけたという。この故郷も、母も、浅田にとって理想なのだそうだ。「理想だよ。こういう母が待っていてくれたらいいね。うちのおふくろは似ても似つかなかった。うちの母親は本当に絶世の美女だったんだけどね、子どもの顔見ているより、鏡に向かっていることのほうが長かったから。僕は、鏡の中の母しか知らないんだよ」と話す浅田に「それはそれでまた美しい表現ですね」と言ったら、「小説家ですから」と返ってきた。

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