アメリカの高校生が学校で習う「資本主義」の本質 「新しい資本主義」を考えるいま再確認したい
ドイツは「ゆりかごから墓場まで」と描写される手厚い社会保障システムで有名だ。ドイツの社会保障は、国民から多額の税金を徴収することで成り立っている。アメリカ人の多くは、そんなに税金を払うなんて耐えられないと感じるだろう。2008年の時点で、所得税の限界税率(課税の対象になる所得が増えると、税額はいくら増えるかを表す経済用語。この場合は所得税の最高税率をさす)はドイツで45%、アメリカは35%だった。
アダム・スミス vs カール・マルクス
イギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズはこう言っている。
「経済学者と政治哲学者が考えることは、それが正しくても間違っていても、一般に認識されているよりも大きな力を持っている。実際、世界はほぼそれだけによって支配されていると言ってもいい。自分はいかなる形の知的影響も受けていないと考える実務的な人間であっても、たいてい古くさい経済思想の奴隷になっている」
人々が経済思想の影響を受けるという現象は、歴史上のさまざまな経済システムで見ることができる。経済システムを大きく2つに分けると、国家が人々の面倒を見るグループと、希少性の問題は、国ではなく個人の自由な経済活動によってのみ解決されると考えるグループになる。
『資本論』で知られる思想家・カール・マルクスは、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」と言った。マルクスが思い描いていたのは、富と所得の完全な再分配によって希少性の問題を解決する社会だ。土地と資本を所有する者から富を集め、労働者に再分配する。彼が夢見るユートピアでは、社会正義と経済の平等が達成され、誰もが希少性の問題から解放される。すべての人間が、生産性に関係なく平等に暮らせる理想的な社会だ。
一方でアダム・スミスはこう言っている。「私たちの夕食は、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲ではなく、彼らが私的な利益を追求することによってもたらされる。私たちが訴えかけるのは、彼らの人情ではなく自己愛だ。彼らに対して自らの欲求を決して語らず、ただ彼らが受け取る利益のみを語る」
アダム・スミスはマルクスとは違う社会を思い描いていた。彼の社会では、生産性が富の多寡を決め、合理的な利己主義が希少性の問題を解決する動機になる。社会が利己主義の力を活用すれば、最高善が達成されるとアダム・スミスは信じていた。
カール・マルクスとアダム・スミスは、希少性の問題を解決する方法についてまったく違う考えを持っていた。あなた自身は、どちらの考え方がより人間の本質に近いと考えるだろうか?
人間の本質は基本的に善であり、人のためになりたいという思いがあると考えるなら、カール・マルクスにより共感できるだろう。一方で、人間は本質的には利己的であり、自分の野心を追求すると考えるなら、アダム・スミスの言い分のほうが妥当だと感じるはずだ。どちらを信じるにしても、スミスもマルクスも社会に大きな影響を与え、私たちは現在にいたるまでその影響から抜け出せていないという事実に変わりはない。
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