では、描くべき価値のあったそのテーマとは何かと言うと、「組織対個人のあり方」です。映画版に引き続きメガホンをとった藤井道人監督に話を聞くと、「これこそドラマ版で伝えたかったメッセージだった」と語っていました。
「見せたかったのは国家の陰謀ではありません。集団や組織に対する個人のあり方でした。これはどこの世界でもコミュニティーが存在する限り、あるものです。個人のあり方とはいったい何か。作品を通じて、このメッセージを届けたいと思いました」
物語の登場人物である新聞記者、若手官僚、公務員、就活生それぞれが組織と個人の関係性に悩む姿を確かに印象づけています。「組織とは何か」「組織は絶対的であるのか」「組織に従うことが組織に属する者の宿命なのか」ということを訴えかけ、答えはひとつでないことも見せています。
劇中にある「組織の中で生きることがどれだけ大変か」というせりふは唯一、実際に誰もが共感することなのかもしれません。決してそれは明確に答えを出すことに対する逃げではなく、組織vs.個人はどの日本の企業でも、どこの国でも永遠の課題です。リアリティーを追求した結果なのだと思います。
藤井監督自身の体験を投影した就活生役
一方、エンターテインメント作品として成立させたことも今回のNetflixドラマ版の価値にあります。政治事件の内容そのものやジャーナリズムのあり方に関心を引いて成功した映画版とは別の角度からアプローチすることによって、幅広い層から支持を集めます。政治などの世の中の動きにたとえ興味を持っていなくても、気づきを与え、共感を生む切り口がNetflixドラマ版を作る意味にあると言えます。そのため、組織と個人の関係性だけでなく、若者の目線を通じて「社会と個人」についても掘り下げられているのです。
若者の目線として、横浜が演じた木下役は大学生から社会人になる過程も描かれています。事件とも絡み合いながら、社会と関わっていくその成長の姿はひとつの光を与える役割です。藤井監督も「自信のあるパートです」と話しています。実は十数年前の監督自身を投影した役でもあるからです。「大学生の頃は新聞を読んだ試しすらないほど、半径5メートルの世界の中で精いっぱいでした」と、まさに登場人物のようです。
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