そう考えると、やはり「欲がない」ことは「もらう名人」になるための絶対条件なのだ。
執着を減らし、余分な持ち物はことごとく人にあげてしまえるか。
不足しているものはありがたく人様から分けてもらうけれど、もし余ったらそれはすかさず欲しがっている人にあげてしまえるかどうか。
それさえできれば、「あげる」「もらう」が永遠に続き、ここにメビウスの輪のごとき循環が完成する。人生は永遠に安泰だ。あれも足りないこれも足りないと不平と不安に満ちた生活から抜け出し、信頼できる仲間に囲まれて、必要なものはいつでも手に入れることができる。
誰でも、きっかけさえあれば「無欲」になれる
もうこうなってくると、ほとんど旅の僧のようですな。一体、どうやったらそんな無欲な人になれるのだろう。
ということで、一例として、改めてわが身を振り返る。
何しろはっきりしているのは、ついこの間まで私、欲がないどころか人一倍欲にまみれていたのだ。恵まれた会社に勤め、分不相応な高給をもらっていたのに、まだ足りねえ、もっともっとと思っていた。いわば「強欲」のカタマリ。それがコロリと変わったのだから、これは持って生まれた資質などではまったくないのである。
ってことは人は誰でも、何かのきっかけさえあれば私のように変身することもできるのだ。
きっかけは、ハッキリしている。
私は50歳で、いわば「出家」をしたのだ。
あ、もちろん最初からそんな大それたことを考えていたわけじゃない。単に50歳で会社を辞めただけのことである。
結果、給料がもらえなくなったので生活費を可能なかぎり圧縮せざるをえず、追い立てられるように古いワンルームマンションに引っ越したら収納ゼロで何も入らない。所有物の9割は減らしたんじゃなかろうか。お気に入りの服も食器も本もことごとく処分した。
つまりは、ただでさえ収入が絶たれ不安でいっぱいなのに、すでに持っているものも「ほぼすべて」捨てて再出発をせざるをえなかったのである。
これを私なりの出家と言わずしてなんと言おう。
その結果、わかったことがあった。
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