しかし、そのような新たな世界を「どのようにしてつくるのか」、「本気でそれに取り組む気があるのか」という話になると、現実には思うように進まない。なぜなら、社会システムの転換は多くの利害衝突を生み、社会的混乱が避けられないからです。
もちろん、SDGsなど、持続可能な社会を作ろうという国際社会の動きは出てきていますが、とても世界の環境悪化のスピードに追いつけてはいません。さまざまな国際的な協議も進められていますが、そこで決められるさまざまな「声明」や「宣言」は努力目標にすぎず、国際的な強制力はないというのが現実です。
そうならざるをえない最大の理由は、先進国の主張する環境対策がこれから本格的に経済成長を実現したいと考える途上国の考えと決定的に対立していることにあります。このため、SDGsは現在のシステムを持続させるための「隠れ蓑」、もしくは、現在のシステムの「延命措置」になっているとさえ考えられるほどです。
つまるところ、SDGsはいわば一種の「免罪符」のようになっており、「SDGsさえ標榜しておけば許される」状況にある。これでは、気候変動問題の根本的な解決は望むべくもありません。
「加速主義」に走る世界
実際、表面的にはSDGsをはじめ、地球環境問題への取り組みの必要性を強調しながら、現実の政治・経済において採用されている政策や行動となると、それとは逆に経済成長を加速させることが目指されている場合が非常に多いのではないでしょうか。
それらは「有限」への回帰を目指すのではなく、その逆に経済をもっと成長させようとする「加速主義的な政策」が中心だとすらいえるのではないでしょうか。これが世界の現実だと思います。
「加速主義」というのは、ひとことで言ってしまうと、「抑制」ではなく、これまでの路線をさらに加速して、どんどんやれという考え方で、最近では思想界でもかなり影響力の大きい哲学の一派にさえなっています。
たとえば、AIやゲノム編集など、最新テクノロジーを積極活用し、イノベーションを引き起こして資本主義のプロセスを加速させる。そしてこの加速を通じてやがては資本主義それ自体の外、「ザ・アウトサイド」へ脱出せよという考え方です。このようにして行き詰った資本主義をさらに高度なものに転換させ、それを通じて現状を打破すべきだという考え方です。
具体例を一つ挙げましょう。それはMMT(Modern Monetary Theory、 現代貨幣理論)と呼ばれる経済理論です。MMTによれば、(日本のように)自国通貨建てで国債をいくらでも発行でき、また、徴税権力を有する強力な政府が存在している限り、財政赤字はいくら大きくなっても問題にならない。なぜなら、必要なときにはいつでも国債発行(もしくは増税)によって財源を調達できる、だから、財政破綻は起こらないと考えるからです。
これがMMT論者の主張です。健全な財政こそ国家への信頼の基本となると考える財務省をはじめとする健全財政論者からすればとんでもない考え方です。MMT論者に言わせると、もし財政赤字を増やし続けてインフレ傾向が顕著になってきた場合には、税徴収の絶対的権力を持つ国家が直ちに増税に踏み切れば総需要が抑えられて、インフレは終息できる、だから問題はない、ということになります。
しかし、これは現実的とは言えません。とりわけ民主主義社会においては、増税はつねに有権者からの強烈な反対にさらされ、政治家は二の足を踏むのが通常だからです。つまり、インフレが起こり始めてから増税するということでは到底、インフレ抑制には間に合わないということです。
ただし、長らくデフレ的な状況が続いている日本経済の現状を見ると、政府が膨大な国債を発行し、日銀がそれを市場から買い取るという積極的な経済政策を続けても問題は生じていない。インフレの兆しも見えない。だから、均衡財政よりも国は積極的に借金をして社会福祉の充実や、格差の解消、景気対策などを積極的に行うべきだと主張しているわけです。
たしかに、日本のデフレ基調は非常に根強く、日本経済がインフレに悩まされる心配は当分ないという見方もできるかもしれません。そういった意味で、日本はMMTを実践している格好の例とすら考えられているのです。
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