「加速主義」を進めて行くと世界に何が起こるのか 行き過ぎた量的拡大が「精神革命」のトリガーに

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もちろん「加速主義」は、MMTのような経済政策に限る話ではありません。たとえば、生命科学や遺伝子工学の分野で積極的に進められている「不老不死」への取り組みはその一例です。生命科学や遺伝子工学の究極的な目標は「死」を克服することにあります。

あるいは、デザイナーベビーのように、人間自体を人間の好みに応じて「生産する」ことが目指されています。つまり、人間の改造によって、人間の生物としての「生命の限界」(死)を超越することが目指されている。人間は「不老不死」を実現することで、「ホモ・サピエンス」(賢いヒト)から「ホモ・デウス」(神となった人間)になるというわけです。まさに生命の分野における「無限」の追求が行われているということになります。

この点についても、本当に「死の克服」という「無限の追求」を放置しておいてよいのか(加速主義でよいのか)、それとも、「生の有限性」を認め、ホモ・サピエンスの存続を目指すべきなのか。ここではこれ以上深入りできませんが、慎重な哲学的議論が不可欠になっているのです。

不況でも国民の「満足度」は高い

話が先に進みすぎたようです。ここで現実的なデータを見てみたいと思います。それは、日本の経済成長率の推移です。1960年代までの高度成長期には平均9%だった経済成長率が、オイルショック後には、平均4%台に落ちました。そして、平成に入ってからのこの30年間では平均で0.7%にまで落ちています。

このいわゆる「失われた30年」の間、国は膨大な借金をし、異次元金融緩和を行ったわけですが、それでも、実体経済が浮上する気配はまったく見えてきませんでした。

他方、周知のように、日本の人口は、歴史的な転換点に立っています。日本の人口は2008年の1億2808万人をピークとして、その後、人口減少社会へと突入しています。その後も改善する様子は見られず、コロナ禍も手伝って出生率が猛烈に落ち込んでいます。このままでは2100年頃には日本の人口は明治時代中頃の6000万人程度、つまり現在の半分程度にまで落ち込むと予測されています。

日本の社会がこのような歴史的な地政学的転換点に立っていることを考えれば、問題は財政赤字を拡大して、マネーの供給量を増やすことで解決するとは到底言えません。いずれにしても、このような急激な人口減少に手をつけることなく、MMTに依拠した経済政策で問題が解決することなどありえないのです。

内閣府が行っている「国民生活に関する世論調査」がありますが、これを見ると、高度成長期の頃は「満足」と答える人たちの比率が低く、逆に「不満足」という答えが多かった。ところが、最近はこれだけ経済が低迷しているのに、「満足」と答える人が増え、「不満足」と答える人が減りました。世論調査の結果をどう読むかは難しいところがありますが、少なくとも言えるのは、「経済が低迷したから人々の生活満足度が下がるとは限らない」ということです。

逆に言うと、景気がよく、高度成長を実現している社会に生活している人の満足度が高いというわけでもないということになります。なぜ人々の満足度が高度成長期では下がり、経済低迷期には下がらないのか、むしろ上昇気味になるのか、この点についてはより詳しい心理学的分析が必要ですが、なかなか興味深い点だと思います。

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