樫野孝人・神戸リメイクプロジェクト代表(Part4)--3000万円を捨て、IMJに移った

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 今はかなりよくなりましたが、昔は情報が多すぎて選べないとか、信用がないといった部分が大きかったですよね。みんな新聞を信頼していて、ナレッジという意味では月刊誌も強い。当時は何よりテレビの影響力があったのでまだまだのメディアだと思っていました。今となってはテレビに次ぐ2番目のメディアになりつつあります。産業規模でも新聞を抜くかどうかというところまできています。

コミュニケーションで大切なのは、伝えたい相手に対し、メディアをどう組み合わせるか、使い分けるかということ。そういう意味では、主役にもなれるし、テレビや雑誌の補完メディアとして脇役にもなれるのがネットのすごいところではないでしょうか。

--IMJで最初に着手したことは何でしょうか。

創業社長からのお題は、新規事業をつくること、組織マネジメント、株式公開の3つです。IMJにいた9年9カ月を約3年ずつで分けるならば、第1期は会社の地ならしでした。聞いていた話と全然違って最初は驚きましたよ(笑)。

大きいクライアントが落ちたらまずい状況だったので、クライアントのポートフォリオやサービスのラインナップをそろえていったんです。翌年にはヘラクレス市場に上場しましたが、中途採用の若い人間ばかりで離職率が高く、戦力は非常に弱い状態でした。IT黎明期だったのでどこの会社も戦力は弱かったのですが、ここを抜けるためには場数だと思い、実践をたくさんやらせて鍛えました。3~4年たった頃にようやく戦える人材に育ちましたね。

売り上げも当初の年商9億円から40億円くらいまで伸び、2期目は資本政策に入りました。ベンチャー企業は脇が甘いので、経営がしっかりした企業の文化を採り入れ、王道路線をどう作っていくかが課題だったんです。楽天やTSUTAYAのカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)、三井物産などと資本提携し、組織風土を大企業バージョンに変えていきました。

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